2025年6月3日に亡くなった長嶋茂雄氏を偲び、同氏の第2次巨人監督時代を振り返った連載「ハダカの長嶋巨人」。常に話題の中心にいた「ミスター」を取り巻く人たちを含めた群像劇を、当時の東スポ巨人担当記者がつづります。

村田(中央右)に抱きつく長嶋監督(1996年、東京ドーム) 
村田(中央右)に抱きつく長嶋監督(1996年、東京ドーム) 

【ハダカの長嶋巨人#17・村田真一の巻】

「紳士たれ」をモットーとしている巨人では基本的に「ひげ」が禁止されている。とはいえ、清潔感があって、きちんと整えられた「口ひげ」なら問題なしとなるなど、長嶋巨人でも一時的に流行しそうな年があった。

 それは1994年、横浜(現DeNA)から移籍した屋鋪要さんの口ひげが長嶋監督公認となったことがきっかけ。当時の正捕手・村田真一さんも、口ひげにチャレンジすることになり、若き日の藤竜也のような渋い口ひげは、一部の「村田ギャル」たちにも好意的に受け止められていた。

 それで何もしゃべらなければ、もっとモテたんだろうが…。口を開けば、とにかく早口で何を言っているのかよく分からない。揚げ句、放送禁止用語をお立ち台で口にしてしまったこともあったほど。それでも男気あふれる人柄で、後輩選手たちからは絶大な信頼を受けていた。

村田の気迫あふれるプレー。右はヤクルトのミューレン(1996年、神宮球場)
村田の気迫あふれるプレー。右はヤクルトのミューレン(1996年、神宮球場)

 そんな村田さんへの取材では「しょーもないこと聞くな!」「もっと野球を勉強せい!」なんて怒られたこともあったけど、時には「おっ、東スポ。いいとこ見とるやないか」なんて“合格点”をもらえたこともあった。

 そして…。今でも印象深いのは、ある週刊誌で「巨人の某投手が村田真のリードを痛烈批判」という内容の記事が出た時のこと。試合後、東京ドームの駐車場で、その話題を振ってみると「あいつは絶対にそんなことを言うヤツやない。オレはあいつを信じているし、逆にあんなことを書かれたあいつのことのほうが心配や」。かなりひどいことも言われているのに、自分のことはそっちのけで、本気でそんな心配をしていた。あの時ほど、村田さんが後輩たちから慕われる理由を再認識させられたことはない。

 愛称の「チュウ」は、二軍の下積み時代、ユニホームがいつもねずみのように泥だらけだったから。そんな猛練習でレギュラーをつかんだものの、特別頭脳的なリードをするわけでもなく、肩がべらぼうに強いわけでもない。かといってガンガン打つわけでもない…。

 それでも長嶋巨人の扇の要は、チュウさんをおいてほかにはいなかった。そんなことを口にしようものなら、また「うっさいわ、ボケ!」なんて言われるんだろうが。