2025年6月3日に亡くなった長嶋茂雄氏を偲び、同氏の第2次巨人監督時代を振り返った連載「ハダカの長嶋巨人」。常に話題の中心にいた「ミスター」を取り巻く人たちを含めた群像劇を、当時の東スポ巨人担当記者がつづります。
【ハダカの長嶋巨人#16・香坂英典さんの巻】
長嶋巨人にあって「間違いなく」欠かすことのできない存在だったといえるのが、広報担当の香坂さんだ。
中央大から1979年に巨人入団。現役時代はサイドスローからキレのいい球を投げ込む投手だった。引退後、第2次長嶋政権下では広報担当を務め、特に松井秀喜に対し、マスコミやファンへの接し方などを教育。絶大なる影響を与えたことでも知られる。その後は中央大の後輩・阿部慎之助にも同様の教育を施してきたのだが…。香坂さんの「愛弟子」を代表する2人が松井や阿部ということを考えれば、香坂さんの人柄がおわかりいただけるのではと思う。
広報担当というのはメディアと現場の間に立って、板挟みとなることの多い、大変神経をすり減らす厳しい仕事だ。もちろん立場は球団側の人間なのだから選手の味方に立つのは当然で、メディアの無理な要望は、最終的には通らない…。
だが、香坂さんは選手が嫌がる仕事でもファンのため、のちのち選手のためになると考えたことに対しては、選手を叱り飛ばしてでも「無理な要望」を通そうとしてくれた。選手の売り出し方を一緒になって考えたこともあったし、ネタの相談にも乗ってくれた。もちろん「ダメ出し」も多く、記者にとっては厳しい“現場デスク”のような存在だった。
あれはいつだったか、寒かった記憶があるので契約更改の時期だったと思う。当時、竹橋にあった球団事務所の入り口で、香坂さんとこんな話をした。
「なあ、溝口よ。最近のプロ野球ってつまんねえと思わないか。昔はお互いを挑発しあったり、因縁をつくったりするのがうまかった。それで新聞が“遺恨対決”とかあおったりして…。今は選手がおとなしいし、ちょっと面白い発言をしても、球団が厳しくチェックして、書きすぎた新聞を出入り禁止にしたりする。これじゃあスター選手はなかなか出てこないよな」
長嶋監督の時代はミスター自身が「プロは書かれてこそ花」のスタンスで、どんなに厳しい批判をされても記者にクレームをつけるようなことは皆無に等しかった。そんな監督の“方針”や、香坂さんのような人が広報にいてくれたからこそ、当時の自分たち担当記者はのびのびと記事を書けたし、記者として成長もできたと感謝している。
香坂さんは現在、球団を離れてしまったが…。球界を盛り上げるためにも現場復帰をお願いしたいと思っている。













