【昭和~平成スター列伝】2015年11月15日に引退したミスタープロレスこと天龍源一郎と、永遠のライバルで盟友の“不沈艦”こと元PWF会長スタン・ハンセン氏が約7年ぶりに直接対面。巨頭対談が実現した(15、16日付本紙既報)。両雄はもはや伝説となった1988年3月5日秋田の「ハンセン失神事件」について語り合った。

ハンセンは勝負度外視で暴れ回り、天龍をボコボコにした
ハンセンは勝負度外視で暴れ回り、天龍をボコボコにした
 

 この試合、約1分間失神したハンセンは、気を取り戻すとまさにブレーキの壊れたダンプカーのように荒れ狂い、誰彼構わずブチのめし、あの天龍が窓から逃げたほどだった。ここからハンセンは連日のように天龍を威嚇し遺恨は続いた。そんな因縁が生じたわずか4日後の3月9日には横浜文化体育館でダブルタイトル戦(PWF王者ハンセン、UN王者天龍)が実現している。

 ハンセンの狂気に満ちた暴走は凶暴度を増す一方で、決戦前日にはハンセンのパートナー、テリー・ゴディまで「今のハンセンは異常だ。天龍が目の前にいると自分でもどうしようもなくなる。目の色が変わるなんてもんじゃない。全身から怒りの青白い炎が立っている。秋田は闘牛場の牛のようだった。止めなかったら横浜の前に天龍は潰されていた。試合になるはずがない。中止にしたほうがいい」とおびえて提言するほどだった。

 そして異常な緊迫感の中、決戦のゴングが鳴らされた。本紙は試合の詳細を報じている。

『禁断のゴングが鳴った。ハンセンは天龍のレバーにヒザを打ち込む。肩から突っ込むタックル、鉄柱、机…。やはりハンセンは3・5秋田失神事件の復讐を狙っていた。全体重をヒジの先端に乗せたエルボードロップ。天龍が「ケツの穴までしびれた」というトーキック。すべての技に殺意が込められていた。つなぎの技はひとつもない。パンチを食うたびに天龍の体が沈んでいく。しかし猛攻に耐えながら天龍は反撃のチャンスを待っていた。ハンセンを失神させた延髄斬り連打。さらに190センチ130キロの天龍がコーナーから人間爆弾。さらにラリアート。ハンセンも蹴り連打を見舞うが天龍は立ち上がる。やみくもにコブシを振り回すハンセン。一瞬のスキをついて、天龍が左腕を首に巻き付けて鮮やかな首固め。14分40秒、天龍が3カウントを奪い、UN&PWF王座に保持するPWFタッグ王座を加え、3冠王に輝いた』(抜粋)

 この一戦、ハンセンはつなぎの技は使わず、全部の攻撃がピンポイントを狙うエグく危険な技ばかりだった。しかも敗戦後も嵐のように大暴れ。「さすがに俺も頭にきた」という天龍は試合後にハンセンの控室に殴り込んだが、カウベルやパンチの雨あられを食って廊下に放り出された。
「ボコボコにされて横浜の体育館の冷たい廊下に大の字だよ。これが勝った人間の姿かと、こっちもカーッとなった」と天龍は後述している。秋田の遺恨は決着するどころか炎上する一方だった。

 7月27日長野市民体育館のリマッチではハンセンは横浜以上の危険なファイトに出て、2冠を奪還。天龍はまぶた上を15針縫った。「救急病院で医者が『プロレスは本当に血が出るんですね』ってぬかすからもっと頭にきたよ」と振り返りながら「もう天井まで突き抜けそうなほど戦いがエスカレートしていた」と告白するほど、遺恨はピークに達していた。

 その後も壮絶な試合を展開したが、両雄は遺恨を乗り越え馬場御大の助言もあって、89年から伝説の“龍艦砲”を結成。3度の世界タッグ獲得と「世界最強タッグ決定リーグ戦」優勝と無敵を誇った。ハンセンの「失神事件」は伝説の名コンビ結成への導火線でもあったのだ。 (敬称略)