【キューティー鈴木・白い青春(4)】1985年1月。全日本女子プロレスのオーディションに身長155センチの私は「163センチ」と書いたウソの履歴書を送り、書類審査を通過しました。友達と受けに行ったフジテレビのスタジオには1000人以上の人が集まっていて、1次審査は前転、後転と平均台を渡るだけでした。

高校時代のキューティー(本人提供)
高校時代のキューティー(本人提供)

 でも、普通にやっただけなのにオーディションに落とされて。納得がいかなかったので、全女の事務所に何回も電話をかけ「ちょっとお聞きしたいことがあるんですけど、なんで私が落ちたかわかりますか?」って。今思うとすごく恥ずかしいですし、落ちた理由なんてどうみても身長が小さいことなのに…。しつこい性格だったんですね。事務所の人には適当に流され、それでも納得がいかないのでまた電話して。1日に3回は電話をかけていたと思います。本当に申し訳ないです…。

 オーディションに落ちて「私の人生は終わった」と思って、次の日は学校を休んでしまうほど落ち込んでいました。ちょうど中学卒業を控える時期で三者面談のときに「私はプロレスラーになるので高校には行きません」って宣言したんです。先生もお母さんもとても驚いていましたね。でも「高校だけは受けよう」って説得され、仕方なく高校に通い始めました。そのうちに「来年もオーディションを受けよう」と、前向きな気持ちになってましたね。

 高校に入学して、下敷きにプロレスラーの写真を入れてたら、同じクラスのプロレス好きな子が声をかけてくれて、すぐに意気投合。その子も同じ全女のオーディションで落ちてたんです。それから仲良くなって高校1年の1月に、その子と中学生のときに全女を一緒に受けた友達と2度目の全女オーディションに応募しました。今度は私だけ書類審査で落とされてしまって。あまりにもショックだったので、また事務所に電話し「合格の通知が来ないんですけど!」って言ったら「落ちたんじゃないですか」って言われて、納得がいかなくてまた何度も電話をかけてました。

 審査当日は書類に受かった友達に付いて会場に行きました。体格の大きい子もいれば、小さい子もいて余計に「なんで私落ちたんだろう」って思いましたよね。1人の友達は最後の20、30人くらいまで残ったんですけど、結局落ちちゃいました。数日後、学校の教室で友達と落ち込んでいたら、違う子が雑誌を持ってきて「新しい女子プロレスの団体ができるって」と教えてくれて。

 それがジャパン女子プロレスとの出会いでした。雑誌を見たらその団体は身長、体重の規定もなくて「ここしかない!」と、すぐに書類を送りました。2、3日後に連絡が来て、私の夢に一歩近づいた瞬間でした。