【キューティー鈴木・白い青春(5)】全日本女子プロレスのオーディションに書類審査で落ち、ショックを受けていた1986年1月、友達がジャパン女子プロレスの選手募集が雑誌に載っていると教えてくれたんです。私は「これだ!」と思ったけど、母は「新しい団体なんていつつぶれるかわかんないから絶対ダメ」って。でも、どうしてもプロレスラーになりたかったから、友達に親の承諾書を書いてもらい、無事に書類選考に通りました。
オーディション当日。母には「ちょっと遊びに行ってくる」と伝え、友達2人と受けにいったんです。ジャパンのオーディションは腹筋や腕立て伏せなど基礎体力の試験と面接。何となく根拠のない自信はあったんですけど、毎日そわそわしていたら2日後に電話がありました。たまたま家にいた私が電話に出ると「合格したので、事務所に来てください」と。
事務所近くの喫茶店でジャッキー(佐藤)さんと1対1で面談をしました。小さいときに憧れていたジャッキーさんが目の前にいて、当時16歳の私は喫茶店に行くのも初めてでした。普段飲んだことない紅茶を頼んだら、高そうなポットとティーバッグを渡されてどうやって飲んでいいのかもわからなくて、手に汗をかいていました。
面接では事前に提出したアンケート用紙をジャッキーさんが見ながら真剣に話を聞いてくださったのが印象に残ってます。私が「学校はすぐに辞めます」って言ったらジャッキーさんが「でもね、学校を辞めるってことは親御さんの意見もあるし…」と一つひとつ説明してくださって。アンケートに「CDデビューしたいですか?」っていう項目があり「いいえ」に丸をしたら、ジャッキーさんから「CD出す気ないの?」って聞かれて「ないです」って答えたことも覚えてます。後にCDを出すことになるなんて…。
面接が終わってから母に電話したら「ちょっと外で会おうか」と言われて。今までプロレスラーになることをずっと応援してくれてたはずの母に「高校卒業してからじゃないとダメ」と反対されて驚きました。最終的には「お母さんだけで決められないから、お父さんがいいって言ったらいいよ」と。そこで父に「私、プロレスラーになりたいな」って言ったら「いいじゃん」って即答したので「実はオーディションに受かっちゃったんだ」って伝えて。「今、プロレスラーになっていいって言ったよね?」とダメ押しし、無理やり了承をもらいましたね。
次の日、冷静に考えたら「私、プロレス続けられるかな?」と少し怖くなったんです。でも今逃したら一生プロレスラーになれないと思って、高校に通いながら道場で練習を始めました。そこから地獄のような日々が始まるんです…。













