【取材の裏側 現場ノート】昨年好評を博した「燃える闘魂 アントニオ猪木展」の第3弾が、2月16日から25日まで横浜市の「MARK IS みなとみらい」で開催される。今回は故アントニオ猪木さんの故郷・横浜で「おかえりなさい、猪木さん」の副題がついたが、同時に「能登半島地震復興チャリティーイベント」として行われる。

 生前の猪木さんは2011年の東日本大震災時に避難所を訪問するなど、社会貢献にも尽くしてきた。その遺志を継いでのチャリティーイベントとなったが、もう一つ理由がある。猪木さんの元マネジャー兼運転手で側近だった、猪木元気工場(IGF)の宇田川強取締役が現地で被災したからだ。

 宇田川氏の夫人が石川・能登町の出身で、昨年12月30日から夫人と帰省していた。同氏が取材に応じ、当時を振り返る。

「1日に親族で集まるお正月の宴会の準備をしていたら、一発目の揺れがぐらぐら来て、次にまた強い揺れが来たら電気が全部落ちた。タンスとかもバターッと倒れ、海沿いの家だったのですぐに高台に避難しました。でも避難したはいいが、携帯電話の電波が入らず、情報が全く入らない。避難所がどこかわからず、避難所を探すことになりました。最終的には近くの老人ホームに受け入れてもらったんです」

能登半島地震で崩れ落ちた石川・能登町の神社(猪木元気工場・宇田川強氏提供)
能登半島地震で崩れ落ちた石川・能登町の神社(猪木元気工場・宇田川強氏提供)

 翌日、家に戻ったものの、電気、水道は使えず携帯電話の電波も入らないままだった。懐中電灯の明かりだけで夜食をとり、余震が続く不安な生活を1週間送った。そうした中で宇田川氏を支えたのは、やはり「猪木イズム」だったという。

「猪木さんはよく『一寸先はハプニング』と言われてましたが、どんな状況でもポジティブにいこうと。亡くなった方が多くいらっしゃる中で、生きている限り前向きに生きねばと。私も猪木さんと被災地を回らせてもらいましたが、その時の経験が教訓になりました」

 幸いにも、宇田川氏夫人の実家には大きな被害がなかった。「義父は猪木信者でしたが、みんなで猪木さんに助けてもらったと言い合ったんです」。その実家には、猪木さんが「ダーッ!」をする写真と、真っ赤な闘魂タオルが飾ってあった。