170センチ、120キロの巨体を誇り、各団体から恐怖の的とされた女子レスラーがイーグル沢井だ。当時最重量を誇り、試合では理不尽の限りを尽くした悪の華だったが、リングを下りれば「トッコ」の愛称で誰からも愛された心優しき女性だった。

 1986年にジャパン女子に入門し、同年9月5日後楽園の伊藤勇気戦でデビュー。当時はスリムな体形でアイドル系レスラーの道を進むと思われたが、急速に体重が増えたため悪役に転身。尾崎魔弓らの悪のユニット、GUREN隊に加入した。

 ジャパン女子崩壊と同時に92年のLLPW旗揚げに参加。エースはミスター女子プロレスこと神取忍だったが、神取の対抗馬として多くの激闘を展開した。十八番のイーグルキャノンボムは一撃必殺のフィニッシュ技だった。93年8月にLLPW認定シングル王座が新設されると、神取と初代王座決定戦を争ったが惜しくも敗退。しかしその後は同王座最多となる4度の戴冠を記録した。

立野記代(手前)を抱え上げイーグルキャノンボムを決めるイーグル沢井
立野記代(手前)を抱え上げイーグルキャノンボムを決めるイーグル沢井

 その後、長嶋美智子、ジェンヌゆかり、沖野小百合らと平成GUREN隊を結成。93年から女子プロ対抗戦が一大ブームを呼ぶと、各団体で理不尽の限りを尽くす。やがてシャーク土屋率いる猛毒隊、ライオネス飛鳥率いる裁恐軍と合体し「平成最恐猛毒GUREN隊」を結成。各団体を恐怖のどん底に陥れ、97年の東京スポーツ新聞社制定「プロレス大賞」女子プロレス大賞を軍団として獲得した。

 飛鳥がガイアに移籍すると、新たに風間ルミLLPW社長、井上貴子とブラック・ジョーカーを結成。こちらでも悪の限りを尽くしたが、デビュー20周年を機に後進に道を譲り「花嫁修業に入るため」に39歳の若さで2007年5月20日後楽園で尾崎とタッグを組んでハーレー斉藤、ダイナマイト関西組とのジャパン女子1期生同士のタッグマッチで引退した。

 引退後はプロレス界から離れたが「東スポをコンビニで立ち読みする」悪癖があり「お願いですから買ってください」と記者は懇願した記憶がある。酒席での姿はまさに〝鯨飲〟そのもの。引退前には週刊誌で袋とじヌードを披露。「B100・W100・H100の金太郎飴ヌード」と書き、怒られた。しかし女らしいこまやかな心遣いの持ち主で、風間や神取をサポート。LLPWを支えた文字通りの〝重鎮〟だった。ところで修業は終わったのだろうか…。 (敬称略)