FMWで“邪道姫”工藤めぐみのライバルとしてトップヒールの座を築いたのがシャーク土屋だ。

〝邪道姫〟工藤めぐみ(左)の好敵手だった
〝邪道姫〟工藤めぐみ(左)の好敵手だった

 FMW旗揚げ戦の1989年10月6日露橋スポーツセンターでデビュー。170センチ88キロという体格を生かしたパワーファイターとして頭角を現し始める。

 90年代に入るとヒールに転向してコンバット豊田、前泊よしかと「コンバット・アーミー」を結成。工藤らFMW女子正規軍に対抗したが、後に前泊と独立。豊田も工藤と結託したため、2人で「コンバット・アーミー」としてFMWマットを荒らしまくった。

全女の会場にノーアポで乱入した前泊(右)と土屋。団体対抗戦の先駆けとなった
全女の会場にノーアポで乱入した前泊(右)と土屋。団体対抗戦の先駆けとなった

 土屋の最大の功績は93年から空前の大ブームを呼んだ女子プロレス対抗戦の先駆けとなったことだ。全女の選手の「FMWのやっていることはプロレスじゃない」という発言に激怒すると、前泊と2人で92年7月15日の全女大田区体育館大会メイン終了後にノーアポで乗り込んだのだ。

 メインは“女帝”ブル中野対北斗晶のCMLL王座戦。ブルは激怒して「オマエら何しに来た! ここは全女のリングだぞ! 一歩も上げないからな! 出直してこい」と罵倒。大乱闘寸前で2人は挑戦状を叩きつけて会場を後にした。この結果、ブルと北斗のトップ2を初めてFMWのリング(同年9月19日横浜スタジアム)に引っ張り出すという歴史的快挙が実現した。

 相手が相手だけにFMWも工藤と豊田のトップ2を用意したが、工藤がブルのギロチンに沈んだ。土屋は対戦に絡めなかったが、ここから対抗戦ブームが起きたのだから、その行動力と功績は評価される。その後は「猛毒隊」を結成し、火炎噴射や鎖鎌攻撃を使うなど凶悪度は増した。97年4月29日横浜アリーナでは工藤の引退試合の相手を務め、ビッグファイヤーを噴射した。

 98年後に退団後はガイアやLLPWに参戦。イーグル沢井の「平成GUREN隊」、ライオネス飛鳥の「裁恐軍」と合体して「平成裁恐猛毒GUREN隊」を結成。各団体で大暴れして同年の東京スポーツ新聞社制定「プロレス大賞」女子プロレス大賞を受賞。2016年に引退するまで各団体で悪行を尽くした。インディーから生まれた屈指の女子ヒールだった。