不世出のスーパースター、アントニオ猪木さん(享年79)が死去して10月1日で1年を迎える。世界の強豪たちと数々の名勝負を繰り広げた〝燃える闘魂〟は、リング外でもさまざまな話題を振りまいた。晩年にもIGF(イノキ・ゲノム・フェデレーション)を立ち上げ、プロレス界の盛り上げにひと役買った。そのIGF元社長で、猪木さんの最側近だった高橋仁志氏(55=焼肉坂井ホールディングス代表取締役社長)が本紙の取材に応じ、燃える闘魂の隠れた意外な姿を明かした。
猪木さんのファンだった高橋氏は、20数年前に知人を通じて知り合い、猪木さんのビジネス面に協力するようになる。ただ本業は飲食関係のビジネスだけに、2007年6月のIGF旗揚げに直接関係していたわけではなかった。地元の三重に戻り新たな事業を始めていたところ、猪木さんから突然連絡があった。
猪木さんには「頼む」とIGFの社長就任を依頼された。猪木さんに現状を説明しても「今まで東京にいたのに、ずっと三重にいても仕方ないだろ。週に1、2回でいいから」と口説かれたという。ただ、猪木さんはしたたかだった。猪木さんが死去した後、高橋氏は自身の母親からこんな話をされたという。
「実はあの時、猪木さんが三重まで訪ねてきて、私に『息子さんをちょっと預かります。俺が東京でちゃんと面倒を見ますし、仕事をやらせます』と言われたんよ」
高橋氏は「猪木さんらしいし、すごいなと」と話すが、さらに意外なエピソードを明かす。旗揚げ当時のIGFは赤字で、猪木さん自身も給与が支払われているかわからない状況だった。それでも猪木さんは高橋氏の「給料を決めよう」と言いだした。高橋氏が「給料って、ここはおカネないですよ」と伝えても、猪木さんは東京に来る時の交通手段や宿泊費など、条件面も細かく決めてくれた。感銘を受けた高橋氏の手腕でIGFの経営が軌道に乗ると、猪木さんはそれに合わせて待遇も上げてくれたという。
猪木さんといえば、モハメド・アリ戦で何十億円とされる借金を負ったり、「アントン・ハイセル」や「永久電池」など関わった事業の失敗、おカネにまつわるスキャンダラスな報道もあって、金銭面にはルーズというイメージがつきまとう。だが、高橋氏は「猪木さんは全然、おカネに汚くない。業績が良くなれば分け前もくれるし、ちゃんとした企業経営者でした。選手にも(活躍した)いい人にはちゃんとやっていたと思う。人を使うという面では、すごい経営者的な視点がありましたね」と振り返る。
猪木さんは人脈づくりの達人でもあった。高橋氏は「猪木さんがよく言う言葉が『時の人がいつも俺の周りに集まってくる』。実際に不動産ブームの時は不動産に関わる人、ITブームにはITの人が集まってくる。ただ単に有名人だから寄ってくるのでなくて、時の勢いのある人を引きつけるオーラ、魅力がありましたね」。いつの時代にも強力な支援者がいたのも、機を見るに敏な猪木さんの人脈づくりのたまものだという。
実際に高橋氏のもとにもほぼ毎日、猪木さんから「なんかある?」「どこにいるの?」と頻繁に電話があった。高橋氏は「アントニオ猪木からマメに電話をもらったら一生懸命やらなあかん、という気になってくる」と笑うように、天性の人心掌握術があった。
その後、猪木さんから遠ざけられた時期があったが、亡くなる1年前にまたも突然連絡があり「俺が悪かった。高橋さんにも迷惑をかけた。申し訳ない」といきなり謝罪された。「天下のアントニオ猪木に謝られたら…」と求めに応じ、再び猪木さんに関わることになった。昨年8月には猪木さんの新たなマネジメント会社「猪木元気工場(IGF)」の社長に就任。3度目のIGF社長となったが、猪木さんはその1か月後に旅立った。「最期に呼び寄せられたんですかね」という通り葬儀を執り仕切り、猪木さんの最期をみとる〝役目〟を果たした。
「猪木さんを通して、ビジネスマンとしてめちゃくちゃ勉強になった。嫌な思いは全くない。人生を大きく変えてくれた人でした」と高橋氏は天国の猪木さんに思いをめぐらせた。














