昨年10月1日に死去したプロレス界のスーパースター、アントニオ猪木さん(享年79)の「お別れの会」が7日に東京・両国国技館で開催。生前の猪木さんと縁が深かった国といえば、パラオ共和国だ。1980年代に島を贈呈されたことを機に友好を深め、2013年には親善大使にも任命された。そもそもなぜ、燃える闘魂とパラオは結びついたのか。猪木さんの側近だった元新日本プロレス専務取締役営業本部長で、〝過激な仕掛け人〟と呼ばれた新間寿氏(87)が「イノキアイランド」誕生秘話を明かす――。

 日本から南に3200キロ離れた太平洋に位置する常夏の島国がパラオ共和国だ。人口は約1万8000人(2020年)で、面積は屋久島とほぼ同じ488平方キロメートル。そこから船で20分の距離に、白い砂浜、コバルトブルーの海に囲まれた周囲2キロの島、イノキアイランドがある。1980年代から猪木さんが何度も訪れ、両国の友好にひと役買った。

 猪木さんとパラオを結びつけたのが新間氏だ。70年代後半、日本の大学に通うパラオの首長の娘の面倒を見ていた旅行代理店社長から「一緒に行ってくれませんか」と依頼され現地に渡った。

「向こうの首長さん、つまり国会議員5~6人が会いたいという話で、『昔のように日本とパラオが親密になれる方法はないか?』『日本からパラオに何千人、何万人という人が来てくれる方法を相談したい』ということでした」(新間氏)

 歴史的にも両国はつながりが深かった。第1次世界大戦後から第2次世界大戦の終わりまで、日本はパラオがある南洋諸島を統治したことがある。そのため数万人の日本人が南洋諸島に住んでいたことがあったという。

 国造りを進める中で、パラオの首長たちから「ぜひ会いたい」と名前が挙がったのが、俳優の上原謙さん、歌手の美空ひばりさん、そして猪木さんだった。「アントニオ猪木を呼ぶアイデアはないか?」と相談された新間氏は、ここで意外な方法を思いつく。

「アントニオ猪木を連れてくるにはアントニオ猪木の名前をつけた何かがないとダメだ。そうだ、島をもらおうと思ったんですよ。『アントニオ猪木島という名前をつけて贈呈式をやろう』と言ったら大拍手で。すぐに『明日船を用意するから島を選べ』となりました」

 3日間かけて選んだのは、海ガメが泳ぎ、50~80センチの巨大なシャコ貝が多く生息する自然豊かな島だった。「現地ではセブンビーチアイランドと呼ばれていてね。7つの島という名前からして幸福になるような気がした。大首長のバーレスさんという人が持っている島だったけど『俺の島だからいいよ』って。写真を撮りまくって帰りましたよ。これがイノキアイランドの誕生ですよ」

 さっそく猪木さんに報告すると「えっ? 俺に島だって?」と驚き、「よし、パラオに行く」と承諾を取り付けた。

 だが、ここでちょっとしたトラブルが。新間氏より先にパラオとルートを持っていた人物から「あの島はコロール市の島だから人に譲れないはずだ」と新日本プロレスに手紙がきたのだ。すぐに新間氏は現地に確認し、改めて猪木さんの島だというお墨付きを得た。

 パラオに渡った猪木さんの様子は今でも忘れられない。「解放感にあふれていてね。『人に見られることにくたびれたよ』なんて口にしていたのに、ここではそれがなかったから。猪木寛至に戻れる、つかの間の時間だったんだろうね」と新間氏は振り返る。

 イノキアイランドでは、猪木さんに命を救われたこともあった。猪木さんは島にある小屋、新間氏はヤシの木の下で寝泊まり。朝になり「新間、起きろよ」と起こされ、2人で波打ち際で顔を洗っていた。その直後だ。新間氏が寝ていた場所にヤシの実が落ちたのだ。「猪木さんが大ケガから救ってくれたんですよ」

 イノキアイランドの誕生により、日本からの観光客も増加。当初の期待通り、猪木さんが両国の懸け橋になった。その後もサンゴの養殖事業に取り組むなど、晩年までパラオの自然保護に尽力した。

〝あるじ〟を失った島は今後、どうなるのか。新間氏は「できるものなら私がパラオに行って、猪木島をどうするかという相談をしたいですよ。私としては、このまま残してほしい」。心より存続を願い続けている。