【赤ペン! 赤坂英一】中日・立浪監督は石川昂を誰もが認める4番打者に育て上げられるか。これこそ、監督3年目となる来季最大の使命であり、地元・愛知のファンが一番期待しているところだろう。

 石川昂は、2019年のドラフト1位で愛知の名門・東邦高から入団して4年目。今季は左ヒザ前十字靱帯を手術した影響で出遅れたが、4月から一軍に合流すると持ち前の長打力を発揮。7月22日の広島戦で自身初の2桁本塁打に到達した。

 その翌日、マツダスタジアムのベンチで石川昂に声をかけると「調子はいいです」とニッコリ。186センチ、100キロの体に私が圧倒されていると「(昔より)大きくなりましたから」と笑みに自信を漂わせていた。

 ちなみに、中日で高卒4年目までに2桁本塁打を記録した選手は、1993年の種田仁以来30年ぶり。本拠地がナゴヤ球場よりも広いバンテリンドームに移ってからは、石川昂が球団史上初だ。ところが、その矢先、8月19日のヤクルト戦で頭部死球を受け、特例措置で登録抹消。またもやケガに泣かされた。

 そもそも、中日が石川昂に最初に注目したのは小6の頃。球団の少年野球チーム「ドラゴンズジュニア」の監督を務める元外野手・音重鎮氏が、石川昂を見初めてレギュラーに抜てきしたのが最初の縁である。

 石川昂が「知多ボーイズ」で活躍していた中3の時には、私も中日OB・水谷啓昭氏に勧められて取材を開始。中学卒業前には大阪桐蔭・西谷監督から熱心に誘われたが、父・尋貴さんの母校・東邦を選択し、高3春の甲子園で優勝投手となった。

 東邦で石川昂を育てた森田監督は当時「彼は本物のスター。ファンのみなさんが見てワクワクするような選手になってほしい」と話していた。そのために在学中は自分が借りたアパートに下宿させ、朝晩の食事を提供して76キロだった体重を10キロ以上増量。プロではそれからさらに10キロも〝巨大化〟している。

 このように、石川昂は小学生時代から「中日の主砲になってほしい」と地元の期待を集める存在だったのだ。古くは高木守道、山崎武司、今季2000安打を達成した大島と、中日が強かった時代にはいつも地元・愛知出身の主力打者がいた。

 石川昂が栄光の系譜に名を連ねられるのか。高木氏の異名「ミスター・ドラゴンズ」を継いだ立浪監督が石川昂をどう育てていくか、来季は正念場だ。