多くを語らずとも確固たる芯を持っている。自らの野球観に対する強いこだわり。これこそがオリックスをパ・リーグ3連覇に導いた中嶋聡監督(54)の強みだ。
中嶋監督は1986年、秋田・鷹巣農林高からドラフト3位で阪急に入団。当時の投手陣には大エースの山田久志をはじめ佐藤義則、今井雄太郎、山沖之彦ら実力と個性の塊のようなベテランが存在した。若き捕手としては強制的に野球偏差値をアップさせなければ、生きていけない環境だったに違いない。
その中でも特に影響を受けたのはレジェンドサブマリン・山田久志だ。当時を知る阪急OBはこう話す。
「中嶋は秋田県出身で山田さんとは同郷。厳しくも優しくかわいがってもらったと思う。リード面にしても、投手心理にしても〝晩年〟の山田さんから得たものは大きいだろうね」
その山田先輩が阪急最後の試合かつ、自身の引退試合となった88年10月23日のロッテ戦では中嶋と同郷バッテリーを組んだ。中嶋は自身の3ランで284勝目をサポートし恩返しで送り出した。
さらにオリックスで投手コーチを務めていた95年と96年、中嶋は中心捕手として成長。リーグ連覇、日本一に貢献し、さらなる恩返しをしている。前出のOBは「とにかく投手を気持ちよくマウンドに送り出す山田コーチのスタイルから、中嶋監督も何かを学んで影響を受けていると思いますよ」と分析する。
ただ、山田投手コーチは96年の日本一を置き土産にオリックスを退団。中嶋は翌97年オフにFA宣言し西武に移籍する道を選んだ。
当時の西武にはパ・リーグナンバーワン捕手と言われた伊東勤がいた。出場機会を得るためにFAするはずだが、あえてイバラの道を選んだ。ライオンズでも西口文也、石井貴、潮崎哲也、豊田清ら個性と実力を兼ね備えた投手陣から多くを吸収した。さらには新人だった松坂大輔を専属捕手として新人王、最多勝に導いた。
西武時代の中嶋を知る元投手は言う。
「リードに関して明確な意思、プランを言葉に出さずともしっかり伝えてくるタイプ。こっちがその要求に応えられなかった時には『なんでやねん』という顔で剛速球の返球が戻ってくる。球界随一と言われたあの強肩からね。手が痛かったわ。まあ、それだけ一球、一球に関して信念、こだわりが強いんですよ。今のオリックスの投手陣の強さはそういうところも影響してないと言ったらウソになりますよね」
時代、時代で球界のトップを走る投手の個性を吸収。鍛え上げた野球脳を自らの采配手腕として昇華させた。阪急最後の勇者、ブルーウェーブ連覇の扇の要が、令和の時代に猛牛黄金時代を築き上げた。












