【鈴木平 超二流~花の咲きどき~(40)】イチローとの直接的な思い出というわけではないですが、1996年のオールスターに出場したことも僕にとっては印象深かったですね。この球宴の第2戦(東京ドーム)ではイチローが実際に投手としてマウンドに上がったんですよ。覚えている方も多いんじゃないですか。その波及効果?で僕はバタバタすることになるんですが…。
前年度の95年、パ・リーグ優勝監督のオリックス・仰木彬監督が指揮を執る夢の球宴です。あの年はアトランタ五輪が開催されて、オリンピックイヤーだったので、日本のオールスターが3試合あったんですね。
第1戦の舞台は初開催となった福岡ドームでした。この試合はプロ生活21年目で初のファン投票選出となった近鉄・山本和範さんが代打逆転3ランを放ちMVPに輝きました。僕は登板予定だったはずなんですが、準備だけして登板はありませんでした。
実は球宴前、仰木監督から「お前は1戦目の最後に投げるから、それから後はゆっくり休んでおけ」と言われていたんです。シーズン中は優勝争いをしていましたからね。後半戦へ向けた戦いの中でリリーフ投手を休ませるというのは、戦略的にも必要でしょうし、当然ですよね。仰木監督が指揮を執っているだけに、そのへんの裁量も自由だったはずですし。
ところがですよ。結局、フタを開けてみたら、僕がオールスターで登板したのは富山アルペンスタジアムで開催された第3戦の2番手でした。
そもそもです。この球宴では仰木監督がイチローを実際に投手として登板させることを計画していたんですよね。ただ、登板させたとしても打者1人の予定でした。
安打や四球になったら交代するわけで、他球団の投手に後を任せるのも失礼じゃないですか。そのために僕はスタンバイしておかないといけなかったんです。
実際、イチローが登板したのは第2戦、全パが4点リードの9回二死無走者という場面でした。ここで打者は巨人・松井秀喜。右翼守備に就いていたイチローが、さっそうとマウンドに向かっていきました。
仰木監督からすればもちろん、ファンサービスの観点から行った起用でした。ところが全セ・野村克也監督は同じ意見ではなかったようですね。球界を代表する松井秀喜に対して、球宴の舞台で野手がマウンドに上がるとは失礼だという考え方で、代打に投手のヤクルト・高津臣吾さんを送りました。
結果は遊ゴロでゲームセットでした。イチローが走者を残して僕が登板するということもありませんでした。ただ、皆さんには見えないだけで僕としては、試合終了直前まで準備をしておかないといけませんでしたからね。結果的に僕は第1戦から第3戦まですべての試合で投球練習をして、肩をつくっていたんですよね。
仰木監督の「1戦目の最後に投げさせるから、後は休んどけ」という言葉はなんだったのか…。まさに仰木マジックです。本当に楽しいのは楽しかったんですよ。ただ、リリーフ投手はずっとベンチに座っていることもないですからね。もう少しゆっくり夢の球宴をベンチから楽しめたなら良かったかもしれませんが、それはぜいたくかもしれませんね。












