【鈴木平 超二流~花の咲きどき~(39)】どうしても1995年、96年で連覇を経験したオリックスの一員としては、イチローに関しての質問を受けることは少なくないんですよね。

 ただ、改まって質問されてもね、ロッカーでは普通の一人の若手のスター選手・イチローでしかありませんでした。僕たちの前では。

 ロッカーが隣の隣だったんですよ。隣が大島公一さんで、その隣がイチローでした。ロッカーはすごいきれいにしていましたね。

 僕がオリックスに加入した95年、イチローはすでにシーズン210安打を記録した後でした。印象としてはよくサインを書いていたなあというのはあるかな。でも、本当に普通だったんですよね。僕はヤクルトに入団した時に長嶋一茂さんを見ていたので、注目度はハンパなかったですからね。だから、イチローに対しても大変だろうなというくらいの感覚しかなかったですね。

 ただ、もともとオリックスは在阪パ・リーグということもあって、マスコミからの大取材攻勢っていうのは慣れてなかったはずなんですね。

 そうなると、言葉の端々を取られて意図しない方向に週刊誌やスポーツ紙に原稿を書かれることは嫌がっていましたね。

 毎日、取材に来てくれる番記者の皆さんはいいんですけど、だんだんしゃべらなくなっていくイチローというのは感じましたよ。

 球団納会の時だったかな。みんなでお酒を飲んで盛り上がる場ではあるんですけど、その時にイチローだけが牛乳を飲んでいたのは印象に残ってますね。さすがの佐藤義則さんもイチローにはお酒を勧めることはなかったですね。

 僕はオリックスに移籍した最初は寮に住んでいましたからね。試合が終わると三宮の街に繰り出して飲食することも多かったんですが、夜中になって帰宅するころにはイチローは青濤館の室内練習場でバッティング練習していました。

 イチローのルーティンというのがあって、道具をきれいに手入れして、トレーニングして、バッティング練習みたいなね。もちろん、野球が好きで技術を向上させたいという気持ちも強かったんでしょう。結果を出せば出すほどプレッシャーも大きくなるわけで、大変なんだなというのも感じましたね。

 あと、寮のイチローの部屋に並んでいたスニーカーは印象に残っていますね。20歳そこそこでもう8000万円だか、1億円の年俸を稼いでましたからね。そういう買い物に関しては自由なはずですから。エアジョーダンですか。ああいうスニーカーがずらっと並んでいるのは壮観でしたよ。あの神戸のイチロー部屋がなくなってしまって寂しいですけどね。

 年俸でいえば、年齢的には4つ年下のイチローが上だったんですが、寮からイチローと2人でタクシーに乗っていくというシチュエーションがあった時には少し考えましたね。どっちが出すって。もちろん、年上なんで僕が支払ったんですけどね。

 シーズン中でも賞を取るイチローでしたからね。「賞金出てるから、銀行でおカネ下ろすことないだろ?」と一度、聞いたことがありますが「ないです」って即答してましたね。