あの日、あの瞬間、当事者は何を思っていたのか。マット界を騒がせた事件、名勝負、レスラーを再検証する「プロレス紀行」。今回は鹿児島市在住のいぶし銀レスラー・川畑輝鎮(57)に焦点を当てる。これといったタイトル歴もなく地味な存在に思えるが、この男、数々の伝説を残す〝生ける裏レジェンド〟なのだ。
【プロレス紀行(3)=川畑輝鎮編】それほど有名ではないレスラーなので、まずは川畑の経歴に触れよう。鹿児島・沖永良部島で生まれ、父は鹿児島・龍郷町の元町長。3歳で九九をマスターする一方、中学時代は陸上部に所属し、地区大会では100メートル走と砲丸投げに2年連続優勝し、地元では「神童」と呼ばれた。
鹿児島商に進学してから相撲を始め、専大相撲部では後輩の元大関・武双山(藤島親方)とシノギを削った。3年ほどサラリーマンを経験したのちにSWSに入団。ここまでは順風満帆だった。
ところがプロになるや、坂道を転がり落ちる人生が待ち受けていた。デビュー1年足らずでSWSは解散。NOWに移ったが、ここもすぐに消滅してしまう。その後は第二次NOW、東京プロレス、新東京プロレス…と所属団体がすべてつぶれるという〝珍記録〟をつくる。ノアに入団する2001年まで不遇の10年を送る。
ノアでも、しばらくパッとしなかった。しかし「健康のためにプロレスをやっている」という秋山準の批判を逆手にとって、井上雅央らとヘルスクラブを結成してプチブレーク。志賀賢太郎とのパンチ軍では、ハードコア無差別級タッグ王座を奪取する。ただ、通称「白ベルト」の同王座はGHC王座のマイナー版と呼ばれ、のちにベルトも消滅していることから、キャリア唯一のタイトル歴は〝黒歴史〟のような印象すらある。
2010年にフリーになって以降は鹿児島に戻り、フリーとして活動。裏街道をさまよい続けたプロレス人生だが、ノアではさまざま伝説(奇行?)を残し、今でも語り継がれている。その一部を紹介しよう。
【年賀状事件】年賀状の宛先を名簿から丸写ししており、毎年自分で書いた年賀状が自分宛てに届く。
【忘れもの事件】忘れものは日常茶飯事。娘の幼稚園の迎えはいつも車を使っていたが、ある時たまたま徒歩で向かうと娘に「パパ、今度は車を忘れたの…」と泣かれる。
【マック事件】自転車でマクドナルドに行き、ドライブスルーでビッグマックを注文。後ろに乗せていた娘に「恥ずかしいからやめて~」と、また泣かれる。
【幽霊事件】居酒屋で酔った川畑が突然、誰もいないところで「お疲れさまです」と頭を下げた。幽霊? 誰もが背筋をゾッとさせたが、川畑の前には大きなかがみがあった。
【サウナ事件】サウナから出ると頭がクラクラ。フロントに「サウナに長く入りすぎたからか、体がフラフラする」と体調不良を訴えるが、その時たまたま地震が起こっていた。
【メール事件】ある飲み屋で好みのタイプと知り合う。早速「ピチピチしたギャルはたまんない」というメールをKENTAに送るはずが、夫人に送ってしまう。
息子の一茂を後楽園球場に忘れたまま帰宅したミスタープロ野球・長嶋茂雄氏や、8人ものヤクザを瞬く間に病院送りにしたボクシング元世界王者のガッツ石松氏ほどのスケール感はない。いかにも日陰の男らしく〝小物感〟あふれる逸話の数々だが、リング外での存在感はある意味、絶大だった。
そんな川畑は17年に南九州一の繁華街、鹿児島市天文館でカラオケスナック「ひまわり」をオープン。店はコロナ禍を何とか乗り切って6年目に突入した。「コロナでは客足が減って大変だったけど、徐々に復活してきた。どうにかやってますよ。鹿児島は焼酎がうまいからお店に来てぜひ飲んでほしい」と川畑は語る。
プロレスは休業状態で最後に戦ったのは21年11月1日の大日本プロレス鹿児島大会。「今年58だからもう体がついてこないよ。そろそろリングを下りようかと思っている」と引退を考えているという。見納めが近い川畑輝鎮、最後の雄姿を見逃すな。















