【平成球界裏面史 近鉄編⑧】近鉄、オリックスの合併から始まった流れは球界再編問題へと発展。平成17年(2005年)からの1リーグ制移行へ向け、球団オーナー陣は一気に大変革へ舵を切る構えを見せた。

12チームカラーのミサンガを左手につけて会見する古田選手会会長(2004年7月)
12チームカラーのミサンガを左手につけて会見する古田選手会会長(2004年7月)

 そんな中、労組選手会の古田敦也会長が球団代表クラスに加え、オーナーサイドとの直接対話を希望。その意向に巨人・渡辺オーナーが「たかが選手…」と反応した後の〝大炎上〟から流れが変わった。

 それまでの球界はいい意味でも悪い意味でも巨人主導で回ってきた。ただ、それをよく思っていないファンも一定数以上はいたはずだ。そんな状況で巨人・渡辺オーナーや西武・堤オーナーら重鎮が、球界をファン不在のままに変革しようとしている。世間にはそんな印象を与えたのだろう。

 7月10日、労組選手会の臨時総会が名古屋で開催された。当事者の近鉄、オリックスはもちろん、12球団の選手会長が集結。それぞれの球団内でしっかりと意見を集約した上で、古田会長を中心に意見交換が行われた。

 翌05年の1年間は合併を凍結。将来の球界にとってベストかの議論・交渉を行うことを要求していくことなどが確認された。また、最終手段としてストライキの可能性についても確認し合った。

 当時の近鉄・礒部選手会長は「ストライキありきで、それをカードにするつもりはない。試合を見にきてくれるファンの方々を尊重しないとあかん。ただ、それくらいの覚悟でこちらも戦ってるんやということで分かってほしい」と話していた。

大阪ドーム前で署名活動する近鉄・礒部公一(2004年7月)
大阪ドーム前で署名活動する近鉄・礒部公一(2004年7月)

「ファン不在で進む急速な球団合併、1リーグ化の動きに反対するとともに、オープンな場での議論を通じ、球界改革が行われることを望みます」という文面を労組選手会事務局が作成。16日にファンへ向け、この文言に同意する旨の署名活動が始まった。最初に飛び出したのは当事者の近鉄選手会だった。ダイエー戦(大阪ドーム)を前に球場周りにユニホーム姿で立ち協力を呼びかけた。この活動には一軍帯同していた全29選手が参加した。

東京ドームで合併反対の署名を集める高橋由伸ら(2004年7月)
東京ドームで合併反対の署名を集める高橋由伸ら(2004年7月)

 当時の中村紀洋から「取材はええから、このバインダー持って一緒に手伝ってくれ」と声をかけられ、記者自身も行列の整理などを手伝わせてもらった。試合前練習の合間の20分間ほどだったが、約1200人の署名が集まった。

 26日に行われたプロ野球実行委員会では阪神・野崎勝義球団社長から球団統合、リーグ再編成などについて05年中は2リーグを維持し、議論を重ねるよう提案がなされた。依然、巨人とパ・リーグは1リーグ制を支持したが、中日、広島は阪神に同調した。

プロ野球実行委員会、阪神・野崎勝義球団社長(2004年7月)
プロ野球実行委員会、阪神・野崎勝義球団社長(2004年7月)

 ここから12球団2リーグ制存続論が世論的にも支持され、現在の形に至るのは野球ファンなら周知の事実だろう。そしてこの議論の副産物が今季で18回目となった交流戦だ。

 かつて巨人戦のテレビ放映権にセの他球団が依存するという時代があった。同じ利権を求めパ・リーグが交流戦を提案するも、セ側が拒否という図式は続いてきた。

 それが球界再編問題もあり実現の流れとなっていった。パ・リーグを存続させるため共存共栄を図ろうという世論に1リーグ派の経営陣も折れるしかなかった。

合併反対の署名を募る西武・松坂大輔(2004年8月)
合併反対の署名を募る西武・松坂大輔(2004年8月)

 ただ…。今でも12球団維持できているのに、近鉄が消滅したことは解せない。あの愛すべき球団が「犠牲になった」というニュアンスは違うとは分かっているのだが…。かくして球界再編の波はまだまだ近鉄関係者を翻ろうしていくことになる。