【門倉健 7球団奮投記~行けばわかるさ~(29)】2009年1月に僕は大リーグ・シカゴカブスとマイナー契約を結びました。ただ招待選手としてメジャーのキャンプに参加することになっていましたから、そこで首脳陣に認められればメジャー契約となる可能性もあります。僕は意気込んでキャンプ地のアリゾナへと向かいました。

 当時のカブスの指揮官はイチローがいたマリナーズで02年まで指揮を執っていた日本でもおなじみのルー・ピネラ監督でした。さらにカブスには中日時代の同僚だった福留やフィリーズから移籍してきた田口壮さんもいました。田口さんはロッカーも近かったのでいろいろとアドバイスしていただいたのですごくありがたかったですね。
 キャンプでは言葉もわからないので初めは四苦八苦していましたが、僕は体をしっかりとつくってから渡米していたのでブルペンではいい感じで投げることができました。するとメジャーの選手たちも認めてくれたのかいろいろと話しかけてくれたりして、そこからやりやすい状況になっていきました。

 とはいえメジャーの競争は厳しいです。1日、2日、3日とたつにつれてロッカーがポツン、ポツンと空いていくんです。ふるいにかけられて毎日誰かがマイナーへ落とされていく。明日は我が身と僕も必死にアピールしたのですが、キャンプ中盤くらいにピネラ監督に呼ばれて「明日からマイナーに行ってくれ。投げてる姿は把握しているからマイナーで結果を出してまたメジャーに戻ってきてくれ」と告げられてしまいました。
 そこからマイナーのキャンプに移ったのですが、これがまたサバイバルです。マイナーは3A、2A、1A、ルーキーリーグと4つあって同じ施設でキャンプを行います。それぞれ30~40人いますから一つの施設に百数十人がいて、朝のあいさつには全員が集まる。そこから4つのグループに分かれて練習を行っていくのですが、とにかく自分をどうアピールしていくかが大事です。存在価値を示さないとゲームで投げさせてもらえないのです。
 僕はマイナーで3試合投げて、2試合目と3試合目はいい感じで投げることはできました。自分ではこのまま3Aでシーズンインして、何とかメジャーへ上がろうと思っていたのですが、まさかの展開が待っていました。開幕5日前に突然、球団から呼ばれ「リリース(解雇)」を告げられてしまったのです。

 オープン戦での投球内容は良かっただけに正直、これには驚きました。年齢のことや僕の代理人があまりカブスとの関係が強くなかったことなどもあったと思います。僕のリリースが発表されたときにはマイナーのチームメートもみんな驚いていました。「何でお前がリリースなんだ?」「まだまだ一緒にやりたかった」「もっといろんなことを教えてほしかったよ」。中には涙を流してくれるチームメートもいました。

 僕のメジャーへの挑戦は3か月足らずで終わりました。それでもあのときの仲間の涙や温かい言葉は今でも忘れられない思い出となっています。