DDTの“大鵬3世”こと納谷幸男が21日後楽園大会でKO―D無差別級王者・火野裕士に惜敗した。この一戦にかけていた納谷は、秋山準に指導を直訴して9日に特訓を敢行。秋山は師匠である故ジャンボ鶴田さんの得意技・空中胴締め落としとランニングクロスボディーアタックを指導した。王座こそ奪えなかったものの、納谷にとっては今後の成長へ向けて貴重な経験になったはずだ。
秋山は鶴田さんの生前にジャンピングニーを直接伝授された唯一の選手だ。DDT移籍後はコーチ役の重職を担うが、限りない引き出しを持つ秋山だけに、選手たちにとっては最高のお手本になっている。
専大レスリング部から1992年2月に全日本プロレスに入団。同年9月に後楽園のセミで小橋健太(現・建太)が相手という破格のデビュー戦を行ったが、決してエリート街道を歩んできたわけではない。当時、三沢光晴率いる超世代軍に所属していた秋山は、デビューからしばらくの間、川田利明の強烈な蹴りを浴びて連日のように、試合後は半失神となっていた。あまりの厳しい洗礼に「プロレスを辞めたい」と思ったことは一度や二度ではなかった。
余談になるが秋山はその後、若い選手に記者を紹介する際「この人はな、俺が若いころに川田さんの蹴りで失神して控室で目を覚ますと、いつも目の前で『大丈夫?』と聞いてきたおっさんなんだよ」と説明してくれた。まるで疫病神か三途の川の案内人のような扱いだが、秋山は「川田さんの攻めは厳しかったけど試合のリズムが分かってきた」と後日語っている。
“超新星”と呼ばれながら約2年間、厳しい洗礼を浴びてきた秋山が「これならやっていける」との確信を得たのは、大森隆男とのアジアタッグ奪取(95年1月)からだった。
歴代2位タイとなる12回の防衛を記録したが、その間、大きな壁だった川田から初フォールを奪い、初めて世界王座を戴冠する大殊勲を挙げている。96年5月23日札幌で、三沢と組んで川田、田上明組から世界タッグ王座を奪取した一戦だ。
『執念だけだった。秋山が鬼のような形相で声にならない叫び声を上げる。“超新星”と呼ばれた男が闘争本能ムキ出しで川田に襲いかかる。ジャーマン、延髄ニーからエクスプロイダー3連打。大歓声の中、3カウントが入る。先輩・川田から初フォール奪取。そして世界のベルト初戴冠。プロ5年目で秋山が価値ある大仕事を一気にやってのけた。13分過ぎには壮絶なリンチを受けた。川田と田上が強烈なビンタの連続。あまりの凄惨さに場内から悲鳴が上がる。しかし三沢が田上をジャーマンで封じ込めると「秋山、立て!」と絶叫。秋山はドラゴンスクリューで川田の右足を決めるとフィニッシュへ。四天王の一角を崩した秋山の快挙で全日本は新たな時代に突入した』(抜粋)
この勝利で全日本は四天王時代から秋山を加えた“5強時代”に突入する。その後の活躍は説明するまでもないが、秋山ですら川田から初勝利を挙げるまで4年もの歳月を要した。2000年のノア旗揚げ後は近寄りがたいほど怖いオーラを放つようになるのだが、その後、さらに年輪を重ねて“鬼コーチ”となった秋山の指導には説得力があるはずだ。DDTにとって秋山の存在は試合内容以上に、大きな財産となっている。
(敬称略)













