【デンジャラスクイーンの真実#24】1994年は北斗晶の「引退ツアー」が組まれました。3月27日の横浜アリーナ、8月24日の日本武道館、そして11月20日の東京ドーム。ビッグマッチ3大会でキャリアにピリオドを打つことになったのです。

メキシコマットに降臨したレイナ・フブキ(03年)
メキシコマットに降臨したレイナ・フブキ(03年)

 この3大会にしか出場しないと言った以上「北斗晶」のリングネームで試合をやるわけにはいきません。「辞めないで」というたくさんの声をいただいていた中、1月のメキシコマットで「レイナ・フブキ」が誕生しました。

「レイナ」はスペイン語で女王なので「吹雪の女王」。何で吹雪って思うかもしれませんが、吹雪ってどこから吹きます? 北からって感じですよね。北の嵐というイメージなんです。つまり北斗晶、デンジャラスクイーンなんですよ。メキシコで北斗晶が嵐のように暴れまくり、マスクウーマンとして頂点を取ってやろうと思ったのです。

 引退試合となった11月20日の東京ドーム大会。日本一の女子を決める「V★TOP WOMAN 日本選手権トーナメント」に出場しました。優勝するには3試合を勝ち抜かないといけません。私は最後までいくつもりで3試合分、衣装を用意していました。

 決勝戦でアジャコングに勝ち、私は「V★TOP WOMAN」というベルトを巻きました。多くの方からよく「あのときのV★TOP WOMANのベルトはどこにあるのですか?」と聞かれます。見たいという方がたくさんいるんです。

 話は全日本女子プロレス初の東京ドーム大会をやろうという話が出たときにさかのぼります。私をかわいがってくれた松永国松さん(※)から「東京ドームをやろうと思っているんだけど、みんなが反対している。お前、どう思う?」と聞かれたことがありました。莫大なお金もかかりますし、大赤字になる可能性があるからです。

 松永家としては反対だったけど、国松さんはやりたかった。そこで「やった方がいいじゃないですか。やりましょうよ!」と言ったら、国松さんは「お前だけだよ、そう言ってくれるのは」って。だから、国松さんのためにも、この東京ドーム大会は絶対に成功させたかったんです。

 結果は大成功と言っていいですよね。親会社があるわけでもなく、老舗の全日本女子プロレスが手がけた大会に他の団体が出て、大会をやり遂げたというのはすごいことだと思います。

 そのメインになったV★TOP WOMANで優勝したことは私の人生の宝。あのときのベルトは国松さんのお骨と一緒にお墓に眠っています。日本一になった証しをささげたい、私の代わりに持っていてほしいと思ったのが国松さんでした。

 ※ 全女を経営した松永兄弟の四男。ジミー加山の名でレフェリーとしても活躍した現場責任者。後に社長も務めた。