【デンジャラスクイーンの真実#23】私は1993年11月9日のLLPW駒沢体育館大会で、風間ルミと「敗者髪切りマッチ」を戦いました。私は絶対に坊主頭になることができなかったのです。なぜかと言いますと、87年に首の骨を折ったとき、頭の6か所に穴をあけているので、ハゲだらけだったからです。
しかも約7か月前に神取忍と戦ったとき、解説席にパイルドライバーで真っ逆さまに落とされて脳天から流血しています。私が坊主になったら、ジャリッパゲだらけですから、そんな恥ずかしい姿をさらすなんて冗談じゃありません。金色の長い髪を切られるわけにはいきませんでした。
試合は私の勝利。だからといって、風間ルミに髪を切ってもらいたいとは思いませんし、坊主になればいいという問題でもありません。
試合後、風間ルミが震えながら泣いていたので「きれいなお姉ちゃんで売っていたのに、ちょっとかわいそうだな」って思っていたんですよ。だけど…風間ルミは五分刈りでしたよね? 黒い毛がしっかり残っていて「あれ? 坊主頭じゃないのかよ」って思いましたから(笑い)。
とにかくLLPWの人たちは私のことが大嫌いだったと思います。荒らすだけ荒らしていて、めちゃめちゃやっているわけですから。
この髪切りマッチの後、93年11月18日のJWP横浜武道館大会では尾崎魔弓と対戦。11月28日の全日本女子プロレス大阪城ホール大会では8人タッグマッチでダイナマイト関西と戦いました。
そして12月6日の両国国技館大会。神取忍と2度目のシングルマッチを行いました。4月2日横浜アリーナ大会のシングルで勝ち、4月11日大阪大会のタッグマッチで敗れているので、ここまで1勝1敗。私は「選手生命をかける」とまで宣言して神取忍との決戦に臨みました。
試合後、両国のお客さんは帰らないで、ずっと「北斗コール」をしてくれました。その大合唱が控室でも聞こえます。プロレスの会場で、あんなにお客さんが待ってくれるのは見たことがありませんでしたが、私はもう一度リングに出ていくことはできませんでした。負けましたから。
同じ時代に神取忍がいなかったら、今の自分はないと思います。300倍以上の倍率だったオーディションに勝ち抜かなかったらリングに上がれなかったのと一緒で、神取忍が同じ時代に生きてくれてなかったら、女子プロレスラー・北斗晶はいない。それだけは言えます。
神取忍との戦いが終わった私は、翌年の“引退ロード”に向かうことになるのです。













