【デンジャラスクイーンの真実#21】1992年、私と三田英津子がメキシコ遠征から帰国すると、今度は下田美馬がチームに加わります。全日本女子プロレスの松永高司会長から「お前が預からなきゃ、下田は辞めさせる」って言われたのです。最初は「ええっ」ってなりましたよ。三田で手一杯でしたから。でも「じゃあ、預かります」って返事をしました。

(左から)下田、北斗、三田のラス・カチョ(93年1月)
(左から)下田、北斗、三田のラス・カチョ(93年1月)

 その後も同じように「お前が預からなきゃクビにする」ってチャパリータASARI(※)を任せられ、付け人にしたこともありましたね。何でいつも私に言うんですかっていう感じなんですが…。いつの間にか、私が「預かる係」にされていました。

 私と三田、下田は「ラス・カチョーラス・オリエンタレス」(東洋のどう猛な子供)というチーム名のトリオになりました。当時の女子プロレスはタッグマッチが多かったじゃないですか。2人組で歌ったり。でも、3人で組むことはなかったし、何よりも3人が揃うと華やかでしたね。

 目指すプロレスは、強くてかっこいいヒールでした。(アニメに出てくる女性3人組の怪盗)キャッツ・アイって悪党ですよね? 悪党なんだけど、かっこよくて、スタイルもよくて。そんな悪党が好きでした。女子プロレスの諸先輩方には申し訳ないですけど…当時のヒールってどんな感じでした? スタイルのいい子をいじめるのがヒールでしたよね? 私はヒールなんだけど、みんなが憧れる存在になりたかったのです。

 例えば(松田)聖子ちゃんがいて(中森)明菜ちゃんがいたら、明菜ちゃんはクールなキャラクターだったじゃないですか。そんなクールな感じで、女子のヒールをつくりたかったのですよ。それを目指して、三田と下田にはコスチュームから振る舞いまで何もかも変えさせました。それが「ラス・カチョ」でした。

 92年7月30日の茨城・水戸市民体育館大会で、私はブル中野と金網デスマッチで戦いました。セコンドには三田と下田が付いて、私は4メートルの高さから降ってきたダイビングギロチンをかわし、金網最上段からのミサイルキックで勝利を収めました。この試合を経て、私は三田と下田の「ラス・カチョ」として本格的にスタートしたんです。

 この後はいよいよ対抗戦の波が押し寄せます。私は先頭に立って全女の旗を振り「私について来い!」という感じで、他団体レスラーとの戦いに挑みます。その中でも神取忍との戦いは、北斗晶のプロレス人生に大きな影響を及ぼすことになったのです。