【デンジャラスクイーンの真実#19】島流しのような形で私と三田英津子は1992年3月、メキシコに渡りました。ロッシー(小川=当時全日本女子プロレス広報担当)さんも一緒でしたが「1週間で帰る」とのことで、その後は取り残されてしまいます。

三田(右)と下田美馬は87年8月5日後楽園大会で同日デビュー
三田(右)と下田美馬は87年8月5日後楽園大会で同日デビュー

 現地に到着すると、すごい空気が薄いこと(※メキシコシティーは標高約2300メートル)に驚きました。少し頭もクラクラしました。今みたいにスマホがある時代ではなかったですし、旅行雑誌もありません。何の情報もなく、準備もしていなかったんです。せめて辞書でも持っていけばよかったのに、買う時間もありませんでした。

 早速CMLLの社長にあいさつに行きます。オフィスでは、日本に行ったことがあるというレスラーが話しかけてくれて、あいさつの仕方を教えてくれたんです。

 本当は「ムーチョグスト(はじめまして)。メジャーモ、アキラ、エンカンターダ(私はアキラです。お会いできてうれしいです)」と言おうとしていたわけですよ。それなのに、彼らから教わったあいさつは「ヘイ、色男! お前、何回できるんだ?」だったんです…。一生懸命覚えたのに、最悪ですよね。でも社長は「誰に教わったんだ?」って大笑いしてくれて。かなりのインパクトを与えられたのは事実だと思います。

 メキシコで最初に考えたのはリングネーム。まだ「北斗晶」と命名されて間もない時期でしたし「北斗は使わない方がいい」と言われました。「HOKUTO」の「H」はスペイン語では発音しないので「オクト」になるからって。私は本名の「UNO」がよかったのですが、結局は「AKIRA」になりました。

 チーム名は「ラス・カチョーラス・オリエンタレス」。少し長くないかなと思いましたし、意味は「東洋の猛獣の子供」であんまり強そうな名前じゃないなって。でもロッシーさんが「これでいいんじゃない」と言って決まってしまいます。

 その後、すぐ試合が始まります。ロッシーさんが帰国するとき、スペイン語の「月火水木金土日だけは覚えるように」って言われました。月曜日にオフィスに行くと、リストが張られています。そこに自分の名前と曜日、アカプルコとかカンクンとかの地名とアレナ・メヒコとかアレナ・ピスタとか会場名が書いてあるんです。地方遠征もあるのですが、一緒に行くレスラーの名前を見て、わからないことは聞いたりしました。

 とにかく「アキラ」と「ミタ」の名前を探しましたね。三田ちゃんは最初の付け人で、私と一緒にいるから異国の地でも安心しているのだからかっこつけなくちゃいけない。それなのに、ただ水を買うだけで衝撃を受けてしまったんです。