【デンジャラスクイーンの真実#17】首の骨を折った私は1988年1月に復帰しました。当時は堀田祐美子と西脇充子の同期が「ファイヤージェッツ」として売り出され、私は鈴木美香とコンビを組むことに。タッグ名とリングネームはファンから公募し、テイチクレコードさんからCDデビューを兼ねて大々的に売り出されることになりました。

堀田(左)と西脇のファイヤージェッツ(88年5月)
堀田(左)と西脇のファイヤージェッツ(88年5月)

 ただ、美香ちゃんは「合わないな」と思っていました。同期としては好きで今でも仲がいいんですが、堀田たちのチームが先にできて、あまりもん同士がくっついたみたいでしたので…。今考えると、堀田と西脇を売り出すのに持ち上げ役みたいなのが必要だったのかもしれませんね。

 美香ちゃんは宝塚が好きなので「みなみ〇〇」とか「〇〇鈴香」とか、そういう感じのリングネーム案が届いていました。私にも多くのハガキが来て一番初めに見たのが「団あきら」(笑い)。

「(刑事ドラマ)『太陽にほえろ!』に出てきそう」って思って、これにされたら嫌だなあって思いました。

 当時の私は前田日明さんが好きで、ショートカットで目の部分が似ていたからファンも「あきら」と呼ぶようになっていたからです。あとは動物の名前が多く「ピューマー宇野」も何通かありました。ジャガー横田さんみたいな感じですね。結局「あきら」案が多いから、下は「あきら」に決まりました。

「上はどうする?」ってなったとき、相方が先に「みなみ鈴香」に決まったことで、松永高司会長か(現場責任者の松永)国松さんが「もう北斗でいいんじゃない。北斗とみなみが合体してウルトラマンエースになるし」って。レコード会社の方も「いいじゃないですか!」って拍手が起きてしまい…。「あきら」の漢字は前田さんと同じ「日明でどうですか」と言われましたが、できるわけないですよね。それで水晶の「晶」で「あきら」となりました。

 チーム名ですが、当時は(ジャニーズの)男闘呼組(おとこぐみ)がはやっていて漢字で違う読み方をするのがいいじゃないかって。それで「海狼」と書いて「マリンウルフ」になりました。頭が悪い私でも海の豚と書いて「ふぐ」と読むのと一緒で海の狼って何って思いましたよ。でも言えないわけです。それを全女とレコード会社がいいと思ったんでしょうね。

 もともと本名の宇野久子も母親が同級生の名前から命名。男闘呼組がはやっているから海狼とか、みなみが先に決まったから北斗になるとか…実はすべてテキトーについたんです。89年3月に歌手デビューするもテイチクレコードに申し訳ないくらい売れませんでした。デビュー曲は「颱風前夜」(たいふうぜんや)。私は歌が下手だし、それに勝ってみなみも下手でしたから…。