――実際にブルペンでどう肩をつくるかに関して本人にしたのは?
厚沢コーチ(以下、厚沢C)試合前。「ブルペンを使う時はいつでも空けるから。いつでもおいで」とだけ言ったら「分かりました」って。だから、あの時(16年)とは全く違うよ。
――実際、そのプランが動き出したのは?
厚沢C 6回ぐらいだったかな。(7回に登板した)大勢がブルペンに入った時ぐらいから。
――テレビでも大谷がベンチとブルペンを行ったり来たりする映像が流れていた
厚沢C 本人にしか分からない感覚だよね。翔平の場合、打順の兼ね合い、外野までの距離もあるから、そこをいつ、どのタイミングで行き来するかは本人に任せて。
――試合開始後、ベンチにいる吉井投手コーチとブルペンにいる厚沢コーチとの電話連絡などのやりとりは
厚沢C なかった。もうシナリオ通りでした。リードできたのでプランを実現をほしいなって、ただ願うばかりでした。
――試合中に大谷と何のやりとりもなしは驚き
厚沢C 何も話はしていない。ゴメンね、何のエピソードもなくて(笑い)。
――それ自体がエピソードかと…
厚沢C だからもう、すごい導かれているなと思った。ダルと翔平は。
――改めて感じた大谷のすごさ
厚沢C(同じチームで過ごすのは)6年ぶり? こっちはテレビとかでいつも見ているし、そんなに久しぶりっていう感じはなかった。でも、ちゃんと野手としてゲームに入りながら、あのタイミングでブルペンに来て…申し訳ないけど、こっちは「いつ来るんだろう?」と、何回か(ブルペンとベンチを)往復していた翔平を楽しんで見ていました。変な話、打順との兼ね合いで、肩をつくるタイミングが試合(の進行)とかみ合わないケースも考えられたのにね。登板に向け(ブルペンで)肩をつくったのは1回で、25球ぐらいで済んだ。本当にタイミングよく、うまく〝導かれていた〟と思いました。
☆あつざわ・かずゆき 1972年8月11日生まれ。埼玉県出身。左投げ左打ち。大宮工高から国士舘大を経て、94年ドラフト2位(逆指名)で日本ハム入り。9年間の現役生活では白星に恵まれず、通算42試合に登板して0勝4敗、防御率5・37。2003年限りで引退し、二軍投手コーチとして指導者の道へ。07年以降は一軍投手コーチ、スカウト、一軍ベンチコーチなどを歴任した。21年限りで日本ハムを退団し、22年からオリックスで一軍投手コーチ。第5回WBCでは投手コーチとしてブルペンを担当した。













