【平成球界裏面史 松井秀喜骨折編】3月に開催される第5回WBCが目前に迫っているが、ヤンキース・松井秀喜にとって「悪夢のシーズン」となったのが、第1回WBCで日本が世界を制した平成18年(2006年)のシーズンだった。
32歳となるこの年、松井はWBC出場を辞退し、シーズンに勝負をかけていた。ヤンキース4年目で、前年はメジャーで初めて打率3割(5厘)をマーク。23本塁打、116打点の活躍で、オフには新たに4年総額5200万ドル(約62億円)という大型契約を結んだ。名門球団で不動の地位を確立しつつあったが…。
ヤンキー・スタジアムで行われた5月11日のレッドソックス戦で、悲劇は起きた。ナイトゲーム開始直後の初回、ロレッタが放った左前への浅い飛球に対し、スライディングキャッチを試みた際にグラブが芝に引っかかり、左手首をぐにゃり。
最初は何が起きたのかよく分からなかった。だが、ヤンキー・スタジアム記者席のモニターで繰り返されたリプレー映像を見ると…。松井の左手首はありえない方向にねじ曲がっていた。
そのまま救急車でニューヨーク市内の病院へ。精密検査を受けると、翌朝の午前7時30分からコロンビア大学メディカルセンターで2時間以上にも及ぶ緊急手術に臨んだ。複雑骨折に至らなかったのが不幸中の幸いで、骨折部位は1か所。そこをピンなどで固定する手術で、執刀した手首の専門医でもあるメルビン・ローゼンワーサー氏は「手術はパーフェクトに成功した」という。ただ、前夜の松井は「痛くてなかなか眠れなかった」そうだ。痛さはもちろん、ケガをしてしまったショックが大きかったのだろう。
このアクシデントにより、日米連続試合出場は「1768」、メジャーでの連続試合出場は「518」でストップ。「1768」は現在でも衣笠祥雄(広島)の2215試合、鳥谷敬(阪神)の1939試合に次ぐ3位の記録で「518」は「新人の開幕からの連続試合出場」でアーニー・バンクス(カブス)をしのぐメジャー記録だった。何より、かねて「人生で一番つらいと思うことは何か?」を聞かれた松井が「野球をできないことが一番つらいでしょうね」と答えていたことが、現実となってしまった。
そんな松井は、さらに米国人記者たちを驚かせることになる。アクシデント後、初めて臨んだ記者会見での「ブシドー発言」がそれだ。
松井は「チームメートに心の底から申し訳ないと思っている」と、ケガによる戦線離脱で、チームに迷惑をかけることを謝罪したのだが、米国人記者には松井の真意がどうしても理解できないようで「なぜ松井が謝らないといけないんだ?」と当時、現場にいた日本人記者は自分も含め、質問攻めにされた。
「謝罪をしたということは、自分の非を認めたことになる。契約社会の米国で、ましてやプロの世界なら、相手に有利になり自分の契約に不利になる発言は考えられないこと」というわけだ。
「不可抗力の事故であっても、結果的にチームに迷惑をかけたのだから謝るのは当然のこと。日本では常識だ」と説明しても、米国人記者は首をかしげるばかりだった。
結局、松井の発言は「理解できない不思議なブシドー・スピリッツ」と受け止められてしまったが…。そんな思いがあるからこそ、日本人は一丸となれるのではないか。WBCなどの大きな大会で勝敗の差を分けるとしたら、そんなところにもあるのかもしれない。

















