【武藤敬司の軌跡(34)】 2021年11月に丸藤正道と組んでGHCタッグ王座を取った。これで新日本、全日本、ノアのシングル、タッグの6タイトル完全制覇を達成した。でも秋には両股関節が悪くなり始めた。GHCタッグの時には違和感があり、22年元日の日本武道館大会と1月8日の新日本・横浜アリーナ大会の前には痛み止めの注射を打っていたんだよ。
18年に両ヒザの手術を受けた時、全体的にMRIで検査をしたんだ。その時に先生から「股関節の隙間が狭いよ」と。ただ、その後は痛みもなかったから気にも留めていなかった。むしろヒジとか頸椎の方が症状が出ていたから「まさか股関節が」と思ったよ。
で、横浜の試合から1週間後の16日に仙台で拳王と征矢学を迎えたGHCタッグのV2戦があったんだよ。勝ったけど試合前から「しんどいな」ってね。検査を受けたら左股関節唇損傷と診断された。両股関節に炎症が起きていたんだ。
これは治しようがなかった。動かなければ炎症が収まって痛くなくなる。ただ、無理すると炎症で痛くなるんだよ。放っておいてもヒザと同じで骨が変形していくから、いずれ人工関節にすべきだけど、股関節の人工関節はヒザに比べてジョイントが浅いから、すぐ外れちゃうんだって。だから手術したらプロレスは完璧にできなくなる。
診断を受けた後、俺はGHCタッグのベルトを返上して長期欠場することにした。このころには引退で心が決まっていた。だって治んねえんだもん。そこに大谷晋二郎の事故(※)があってね。俺自身、だんだん年を取ってガタがきているから、こういうことが自分に起きる可能性もあるだろうって思ったら怖くなっちまった。
あとは(21年度の東京スポーツ新聞社制定「プロレス大賞」で)ベストバウトを58歳で取り、やり切った感も少しあった。唯一の心残りはグレート・ムタにもGHCヘビー級王座を取らせてやりたかったことかな。
そうやって引退に傾いていったけど、それでも痛みが和らぐと「まだできるかな」って悩んだりね。それで「もう辞めよう」という気持ちが7割くらいで5月21日の大田区総合体育館大会で復帰してね。でも自分が攻めている時に痛みが出て、完全に決断したよ。
正式な引退発表は6月12日のサイバーファイトフェスティバル。でも俺って人間があまのじゃくだから。会場のさいたまスーパーアリーナに行く時も、リングに上がる時も一瞬でも悟られたくない。一生懸命コンディション良さそうに走ったり入場したらロープに飛んで、それから引退発表したんだ(笑い)。
そしていよいよ、俺は23年2月21日の東京ドーム大会での引退試合に向けて「ラストスパート」を切ることになる。
※ 22年4月10日のゼロワン・両国大会での試合中に負傷。「頸髄損傷」の重傷と診断された













