「マサカリ投法」で親しまれた、元プロ野球ロッテ投手の村田兆治さん(72)が自宅火災による一酸化炭素中毒の疑いで11日に亡くなった。現役時代に通算215勝をマークした大投手の突然の訃報とあって、球界に大きな衝撃と深い悲しみが広がっている。再起不能と言われた右ヒジ手術から復活した姿は感動を呼び、現役引退後もトレーニングを重ね、驚異の剛速球を投げ続けた。そして今年9月、空港の保安検査場で女性検査員の肩を押すという暴行容疑で現行犯逮捕…。波瀾万丈の人生となった故人を元番記者が悼んだ。

 村田さんをひと言で表すとしたら「無類の負けず嫌い」だろう。試合はもちろん、練習で打撃投手を務めてもスコン、スコンと気持ちよく外野席に運ばれると本気スイッチが入る。ダイエーで投手コーチとなった1995年もそうだった。

 オープン戦の移動日だった3月10日、地元の福山市民球場で打撃投手を買って出た当時45歳の村田さんは、現役時代さながらのマサカリ投法で140キロ超の剛球を繰り出し、若手野手のバットを次から次へとへし折っていった。

 高橋慶彦打撃走塁コーチは「監督、村田さんのボールが速すぎて練習になりません」と悲鳴を上げ、捕手を務めた達川光男バッテリーコーチも「怖かったよ。球が生きとった」と証言。間近で見守っていた王貞治監督も圧巻の投球に目を丸くし「兆治は任意引退だったはずだから、ロッテの了解がいるな」と現役復帰の可能性に言及したほどだった。

ダイエーの第一次・王政権。左から高橋慶彦、寺岡孝、王貞治監督、村田兆治、達川光男の各氏
ダイエーの第一次・王政権。左から高橋慶彦、寺岡孝、王貞治監督、村田兆治、達川光男の各氏

 そんな村田さんだからこそ、右ヒジ痛とも真正面から向き合うことができたのだろう。最終的にトミー・ジョン手術を選択するまでにも、ありとあらゆる治療を行っている。マッサージや鍼灸、整体はもちろん「病は気から」と考えて滝行に臨んだこともあった。医学的な根拠があったのかは不明だが、人から「マムシの毒がいいらしい」と聞き、マムシの毒が入った注射を打ったこともあるという。その後にマムシの毒が回った村田さんの右腕は丸太のように腫れあがったそうだが、すべての挑戦は「右ヒジ痛に打ち勝つ」という一心による行動だった。

 当時の日本球界でほとんど成功例のなかったトミー・ジョン手術は、村田さんが完全復活を果たしたことで荒木大輔や桑田真澄、松坂大輔、和田毅ら多くの投手に勇気を与えた。「冷やしてはいけない」が常識だった時代に取り入れた投球後の肩やヒジへのアイシングは、今や小学生でも行うようになった。村田さんの試行錯誤と血のにじむような努力で切り開かれた道は、何本も現在へとつながっている。

 ユニホームを脱いだ後も村田さんは体を張って同世代の人たちに夢と勇気を与え続けた。腹筋、背筋各200回をノルマとして自らに課し、2001年から09年までOBによって行われていたマスターズリーグやサントリードリームマッチ、始球式などでたびたび剛球を披露。50歳を過ぎても140キロ前後を記録し、60代になっても球速は130キロを超えた。

 スポーツジムで女性客から「村田さんはいつまでもお若いですね」と言われることも原動力になっていたようだが、手抜きなしの姿勢は年齢を重ねても変わらなかった。「中」や「弱」はない。「切」と「強」で駆け抜けた72年の人生だったのではないだろうか。