「マサカリ投法」で知られ、通算215勝を誇る元プロ野球ロッテの村田兆治さんが11日、死亡した。72歳。同日未明に東京・世田谷区の自宅から出火し、村田さんは意識不明の状態で病院に搬送され、間もなく死亡が確認された。現役時代には右ヒジ手術から奇跡の復活を果たし、毎週日曜に登板して「サンデー兆治」と話題を呼んだ。引退後には1995年から97年まで王貞治監督率いるダイエー(現ソフトバンク)で投手コーチも務めた。元番記者が故人を偲んだ。
座右の銘は「人生先発完投」だった。こんな形での“途中降板”は本意ではなかったはずだ。最近では9月23日に羽田空港の保安検査場で検査員に暴行を働いた容疑で逮捕され、10月24日に東京都内で開かれた沢村賞の選考委員会でも選考委員を辞退されていた。11日朝の段階では出火原因など分からないことだらけだが、なにかすごく悲しい。
何事にも一本気で、スイッチは「切」と「強」しかない方だった。代名詞でもあった「マサカリ投法」から繰り出される鉈(なた)のような切れ味のフォークボール習得のため、右手の人差し指と中指で一升瓶を挟んだまま上げ下げして鍛え、日常生活でもドアノブを回したり、時に先輩へのお酌でもビール瓶や徳利を挟んでいたと聞いた。よりガッチリとボールを挟むため、その2本の指の付け根を刃物で切ったこともあるという。
そんな生き様から「昭和生まれの明治男」などとも言われていたが、野球に関しては最新の考えを積極的に取り入れていた。今では常識のようになっている投球後のヒジのアイシングや、ヒジの靭帯を移植する通称「トミー・ジョン手術」を取り入れたのも村田さんが先駆けだった。
現役引退後も体を鍛え続け、マスターズリーグなどで剛球を披露されていた。私が出会ったダイエー(現ソフトバンク)投手コーチ時代は40代半ばと“バリバリ”で、キャッチボールの相手に指名されてはビビッていたものだ。ストレートには威力があり、フォークはストンと落ちる。野球未経験者に捕れるはずもなかったが、後逸すると決まって「そんなんじゃプロ野球選手になれないぞ!」と叱られた。
喜怒哀楽もハッキリされた方で、ゴルフではパターで短い距離を外したりすると、この世の終わりのようにヒザから崩れ落ちて悔しがっていたことを思い出す。できることなら、もう一度、村田さんとキャッチボールをしたかった。合掌。
(1995年~96年ダイエー担当・礒崎圭介)












