【熊澤とおる 人生100年時代のセカンドキャリア(4)】1989年に進学した埼玉県立所沢商高では、数々の貴重な経験をさせてもらいました。入学して間もない6月に左ヒジ靱帯を損傷して投手は諦めることになってしまいましたが、もともとバッティングは大好き。外野手として1年夏からベンチ入りを果たし、同年秋の新チームからは中堅手としてレギュラーになりました。
2年生の夏の県大会は5回戦で松山高に逆転負け。3年夏は4回戦で花咲徳栄高の後塵を拝し、甲子園の土を踏むという目標を果たすことはできませんでした。それでもプロのスカウトの方々から注目してもらえるようになったのは、高校通算52発という本塁打数だけが理由ではありません。
個人的には甲子園に出場できなかったので、自分の力が全国レベルでどの程度なのか分かりませんでしたが、プロのスカウトには公式戦ばかりでなく、練習試合にも足を運んでいただきました。所沢商は高鍋尚典監督の顔の広さもあって練習試合で強豪校と対戦することもしばしば。相手校のエースを視察するついでに「熊澤をチェックしておこう」というパターンもあったことでしょう。
対戦相手の中には、のちにドラフト3位で近鉄に入団し、野茂英雄さんのトルネード投法をヒントにした「レモネード投法」で話題になった花咲徳栄の品田操士や、東京学館浦安から1位指名でヤクルト入りした石井一久(現楽天GM兼監督)もいました。そんな中で速い球に振り負けず、スイングスピードがあると評判になっていったようです。
高鍋監督は西武で球団管理部長をされていた根本陸夫さんとのつながりが深く、どの球団がどう評価しているかなどをあまり伝えてくれませんでした。それでも11球団が興味を持ってくれているとは聞きました。監督の口から出てくることのなかった「巨人」も、実際には調査してくれていたそうですが…。高校生にとって大事なのは日々の練習や試合なので、積極的に“大人の世界”に首を突っ込むようなことはありませんでした。
91年のドラフト会議は11月22日に東京・港区の新高輪プリンスホテルで行われました。第1回から司会を務められた伊東一雄さんにとっての最後のドラフトでも知られ、学校の教室でラジオのスピーカーからパンチョさんの声で自分の名前が呼ばれたときには、感慨深いものがありました。指名は西武の3位。当初は4位の予定だったそうですが、直前に日本ハムと阪神が上位で指名する可能性があるとの情報が寄せられ、繰り上がったと聞きました。
中学3年の夏に、根本さんから「うちで獲る」と言われて3年。埼玉で生まれ育った僕は、敷かれたレールに導かれるかのように黄金期の真っただ中にあった地元球団の一員になったのです。
☆くまざわ・とおる 現姓は中村。1973年9月7日生まれ。埼玉県出身。所沢商高から91年ドラフト3位で西武入団。一軍出場はなく98年に引退。二軍用具係兼サブマネジャーとして球団に残り、2005年オフから松井稼頭央(当時メッツ)の個人トレーナーとして渡米。08年に一軍打撃コーチ補佐として西武に復帰し、日本一に貢献。二軍打撃コーチ、二軍守備走塁コーチを経て11年に一軍打撃コーチ補佐を務める。11年退団。現在は埼玉・入間市で整骨院を営むかたわら、小中学生を対象とした野球塾を運営している。












