【岩村明憲 ガンガンいこう!(5)】僕に大きく影響を与えたのが、当時の宇和島東高校野球部の上甲正典監督との出会いでした。
 2014年9月に亡くなられた上甲監督は高校野球の名将であり、試合時に笑顔を浮かべる「上甲スマイル」で甲子園ファンの間では有名な方でしたが、僕の最初の印象は「とんでもなく怖い人」でした。

 というのも、兄が先に上甲監督の下で野球をやっており、すごく厳しい方だというのは家でも聞いていました。

 上甲監督のやり方は、まず叱られ役をつくる。その叱られ役を叱っておけば、それを周りが見てピリッと引き締まるというやり方でした。

 そして、この叱られ役が僕でした。兄貴もそういう立場だったし、キャプテンを命じられた僕は自然と叱られ役になりました。

 性格的にも叱っても落ち込まないやつということで選ばれたのかもしれませんが、当時は嫌で嫌でしょうがなかったです。野球を辞めたくて仕方なかった時もありますし、実際に「辞めます」と言ったこともあります。

 一年間、365日あって、365回以上、つまり一日1回以上、辞めたいと思っていましたね。

 練習は1月1日、2日を除いて毎日あります。キャプテンという役割から気は抜けないし、クタクタでした。

 ただ上甲監督のやり方というのは、厳しかったけれど、決して理不尽ではありませんでした。怒るにしても、何でこうなったんだと理由付けを求められました。その上で監督が納得できなければ叱られるといった感じでした。

 練習のやり方にしてもその練習をただやらせるのではなく、なぜやらなきゃいけないのかを考えさせられた。そこで論理的に考えるようにもなったし、野球の考え方も、後々すごく役に立ちました。

 在籍時は何度も辞めたいと思うほどの厳しさでしたが、その理由を明かされたのは卒業時のことでした。すでにその時点で上甲監督の門下生では、宮出隆自さん、橋本将さん、平井正史さんの3人がプロ入りしていましたが3人に続き、上甲監督は「お前をプロに連れていってやらなあかん!と思ったんや」と話してくれました。

 ただその3人に比べて僕は身長が低い。その中でいかに特性を伸ばすかということで、より厳しく当たって、負けん気を引き出したというのが、監督の真意だったようです。

 現役時代は厳しかった監督もプロ入り後はびっくりするぐらい優しくなって、驚かされました。年末には必ずあいさつに伺っていたんですが、「頑張れよ」といつも励ましてくれて…。

 振り返れば、プロ入りのきっかけを作ってくれたのも監督のおかげでした。