【異業種で輝く元プロ野球選手】球界で実績を残したローテーション投手がプロゴルファーとして奮闘中―。そんな希有な才能を持つ元プロ野球選手がいる。津野浩さん(52)。現在「横浜スポーツマンクラブ」のゴルフ練習場でティーチングプロとしてアマチュアの指導にあたっている。

「基本的に個人レッスンなので生徒数はその時々で異なりますが、上は80歳から下は小学校低学年まで。土曜日以外は毎日教えています。野球と違ってゴルフは大人から子供まで年齢を問わず楽しめるスポーツ。それが醍醐味ですからね」

 1983年に高知商高からドラフト3位で日本ハム入り。プロ1年目から4勝を挙げ、2年目の85年からは3年連続で開幕投手を務めるなど、長年チームの大黒柱として活躍した。その後広島、中日、ロッテと渡り歩き、97年オフに現役を引退した。

 ゴルフの道を目指したのはその直後。意外にも軽い気持ちだったという。

「ゴルフを始めたのはプロ2年目オフ。チームの投手会コンペだったのですが、この時のスコアがひどくて(苦笑)。確か150ぐらいだった。それがショックというか悔しくて。以来、猛練習を続けたら5~6年で70台後半で回れるようになった。当時からゴルフは好きでしたし、それなら引退後は『プロに挑戦しようかな…』と思ったわけです」

 一度決めたら行動は早かった。知人の紹介を頼りに98年1月から横浜カントリーゴルフクラブの研修生に。ところが待っていたのは過酷な日々だった。

 研修生に「基本給」はない。週に何度か舞い込む1日1万円程度のキャディーとボール拾いによるわずかなバイト代が主な収入源。一家のあるじとして妻と2人の娘(当時7歳と5歳)を生活させていくにはギリギリの金額だった。

 練習も想像以上だった。キャディーの仕事がある日は最終組がスタートした直後から夕暮れまでコース練習。仕事がない日は朝9時から隣接する練習場やコースで黙々とボールを打ち続けた。1日1000発以上の打ち込みは当たり前。毎日同じ繰り返しが続いた。それでも「この道に進んだからには絶対にプロとしてツアーに出たい」。強い思いを胸にクラブを振り続けた。その結果、研修生4年目の2001年にツアーに出場するライセンス(ツアーカード)を取得。02年には念願だったツアートーナメントに3度出場を果たした。

「結果はすべて最下位に近い成績でしたけど、トーナメントに出られるのは1000人以上の出場資格者の中から数十人だけなので。その中で出場できたことはうれしかった。ただ、実際にトッププロと戦って圧倒的なレベルの差を痛感させられたのも事実です。技術やメンタル、戦い方などすべてにおいてです。上位に入る人たちはジュニア時代からゴルフをやっている。ラウンドでの経験が違い過ぎました。でも、そういう苦い経験をしたからこそ今もゴルフを続けられている。いい思い出です」

 07年にはPGAのティーチングプロ・ライセンスを取得。それから10年たった今はレッスンプロを続けながらシニアツアー参戦に挑み続けている。

「50歳の時から3年連続でシニアツアー出場のための予選会に挑戦しましたが、残念ながらまだ一度もパスしていません。17年の予選会は100人弱の中で60位ぐらい。上位18人に残らないとファイナルにも進めないのでまだまだです。シニアとはいえ、レギュラーツアーで戦っている人たちも大勢いるのでレベルは高い。自分の練習量を含め、レッスンを続けながらのツアー参戦は正直、厳しいです。でも今は生徒さんにレッスンして、ゴルフがうまくなっていく姿を見るのがうれしい。まずはそれをしっかりやりながら自分自身もできる限り頑張っていきたい」

 新たな生きがいとともに、津野さんの挑戦は続く。

 ☆つの・ひろし 1965年、高知県生まれ。高知商高から83年のドラフト3位で日本ハム入団。85年から3年連続開幕投手を務めるなど、チームのエースとして活躍。92年広島、93年中日、95年にはロッテに移籍し、97年に現役引退。98年からプロゴルファーを目指し、01年に日本ゴルフツアー機構(JGTO)のツアーカードを取得。07年にPGAティーチングプロ・ライセンスを取得。現在は「横浜スポーツマンクラブ」でレッスンプロとして生徒の指導にあたる。プロ通算成績は231試合53勝71敗、防御率4・61。右投げ右打ち。家族は夫人と2女。