元新日本プロレス取締役の上井文彦氏(66)はパーキンソン病と闘っていたマサ斎藤(故人)をリングに上げるなど、長きにわたって日本のプロレス界に話題を振りまいてきた。しかし、昨年2月に大阪市城東区で開催したマサ斎藤追悼興行を最後に表舞台から姿を消している。いったい、どこでどうしているのか。本紙は潜伏中(⁉)の上井氏を引きずり出して、話を聞いた。


 ——あれからどうしていた

 上井 どうしてたって…働いてましたよ(笑い)。昨年2月のマサさんの追悼興行の後始末も終わって、何をやるか決めていなかったんですが、滋賀の生ごみ処理の機械を販売する会社の社長に誘われて、そこでお世話になってます。

 ——もうプロレスの興行は打たないのか

 上井 2007年にディファ有明で「UWAI STATION」の最後の興行をやって大阪に帰ってきて、翌年に西口プロレスを大阪でやった後「もうプロレスの興行はやらない」と。もう自分のやりたいことはやったかなと。やりつくして能力ないのもわかったし(苦笑)。もう(自分の)時代じゃないなと思いました。でも、15年にミチさん(マサ斎藤夫人の倫子さん)から電話があって…。

 ——マサさんをひとりで介護していた

 上井 そうなんです。「久しぶりに会いたいですね」とか話しているうちに、16年に徳島の病院でマサさんと再会。そのとき「もう一回リングに上がりたい」と言ったんです。何度も確認したけど「本気だ」って。それで12月に城東区民ホールのリングに上がってもらった。マサさんとの約束を守るためだけに興行をやったんです。そのマサさんがいなくなったのに興行をやり続けるのは筋が通らないでしょ。

 ——じゃあ、やらないんですね

 上井 それに借金まみれで大阪に帰ってきた男が表に出るべきじゃないと思ってますし。

 ——何でそんなに借金したのか

 上井 意地でもプロレスで取り返そうと思ったんですよ。でも、終わってたんですね。それに気がつかなかった。だからプロレスの仕事は絶対にしないと思ってました。それで皿洗いとかもやったし。幸い、今の仕事はいい仕事なんで、一生懸命やって、全部返せないかもしれないけど死ぬまで返していきますよ。

 ——一連のマサさん関連の興行は盛況だったが

 上井 あれが本当にうまくいってたら、続けてたかもしれない。でも、いろんなことを書かれたし…。

 ——病気のマサさんを見世物にして、というような批判もあった

 上井 因果応報、自業自得。悪いというかダメだったから、それが将来にきて重しになったということ。批判するのは自由だし、しょうがないと思っている。でも僕とマサさんとミチさんにしかわからないことってあるじゃないですか。それを実行できたと思ってるんで。今もミチさんと付き合いがある。本当にマサさんのことを思ってやってなかったら、付き合いなんて終わってますよ。

 ——借金を抱えていてもアントニオ猪木ばりに元気

 上井 猪木さんに「お前いくら借金あるんだ」って聞かれたことがあるんです。「かなりあります」って答えたら「ところでお前、一回借金した人にもう一回借りに行ったか」って言うんですよ(笑い)。「行けるわけないじゃないですか」って言ったら「ばか、そこをもう一回行くんだよ」って(笑い)。真顔で言うんですからね。

 ——猪木らしい

 上井 猪木さんは底辺まで行ってすごい経験してるから、たいがいのことは全然つらくないんですよ。くじけずに「元気があれば何でもできる」を実践したんですから。良く言われたり悪く言われたりしますが、僕は何があっても猪木さんの味方。猪木さんと坂口(征二)さんは僕らの親父ですよ。

 ——ところで何で新日本プロレスに入ったのか

 上井 大学で単位が全然取れてなかった。もう普通の会社は無理。それなら好きなことをやろうと。ツテを頼って大塚(直樹=当時の新日本プロレス営業部長)さんに1977年4月22日、大阪府立体育館で面接してもらったんです。長州(力)さんが本名の吉田光男から長州に改名を発表したその日。

 ——以来、営業職。猪木VSマサ斎藤の巌流島決戦(87年10月)も上井さんの仕事

 上井 アイデアは俺じゃなくて藤波(辰爾)さんだからね。その年の4月、試合のない日に下関の火の山ってとこの展望台に行ったの。そこから巌流島が見えて、藤波さんが「上井、あそこが巌流島だよね。あそこで俺と長州がやったら面白いよね」って。

 ——それが発端

 上井 で、夏になって倍賞(鉄夫元新日本プロレス副社長=故人)が「10月の特番、何かアイデアあるか」と聞いてきたので藤波さんの話をしたんです。「面白い! すぐテレビ局に行ってくる」って。1週間ぐらいしたら「巌流島、決まったぞ」と。「ただ上井、聞いてくれ。藤波VS長州でなく猪木VSマサ斎藤でやることになった」って。「えーっ」ですよ。だって盗作じゃないですか。

 ——完全にパクリ

 上井 猪木さんが「あの2人じゃ無理だろう。俺とマサでやる」と言ったそうです。藤波さんの顔、見ることができなかったですよ。これで猪木さんと藤波さんの関係もおかしくなっちゃった。いまだに藤波さんに申し訳ないと思う。

 ——とにかくいろいろなことがあったが、今のプロレスは見ているか

 上井 見てると時代が変わったと思います。でも、客が入っていれば〝正義〟ですよ。

 ——夢は借金全額返済

 上井 全部返せたら、マサさんの追悼をやった思い出の城東区民ホールにこれまでお世話になった人を全員招待して、僕のための10カウントゴングを鳴らしたいね。けじめをつける意味でも。

 ——最後に言っておきたいことは

 上井 マサさんのことを忘れないでほしい。そして新日本プロレスのリングでミチさんを呼んで正式なセレモニーをやってあげてほしいね。10カウントゴングとか。僕が手掛けたばっかりに新日本が手を出さなかったのなら申し訳ないと思っているので。


 ☆うわい・ふみひこ 1954年4月4日生まれ、山口県下関市出身。大阪経済大学卒業。77年、新日本プロレス入社。85年にUWFに移籍したものの翌年復帰。以後は営業として活躍し渉外、マッチメーカーなども務め取締役に。2004年に新日本プロレスを退社。ビッグマウス・ラウドを経てUWAIステーションを設立したが、徐々にプロレス活動を縮小。16年12月にマサ斎藤をリングに上げた「ストロングスタイル・ヒストリー」は8年ぶりに開催したプロレス興行だった。現在は大阪市在住で、滋賀県の会社に勤務。