【高橋雅裕「道なき道の歩き方」(4)】Bクラスが続く横浜大洋ホエールズを立て直すべく、巨人でコーチをやられた須藤豊さんが監督に就任しました。いい選手イコールいい指導者というわけではないし、須藤さんも巨人のコーチの後でサラリーマンをやったりといろんな苦労があったと思います。僕が二軍のころに巨人の二軍監督として対戦したこともあります。

 1990年はパチョレックが首位打者を取る活躍、遠藤一彦さんが抑えに転向して21セーブと復活し、7年ぶりのAクラスとなる3位に入りました。でも…僕の中では須藤さんに対し、許せないことがありました。須藤さんはお酒が好きなんです。それはいいんですけど、92年の4月、横浜で監督室に呼ばれたんです。すると酒飲みながら「お前、明日からファーム行け」と…。焼酎ですよ。自分の成績が悪くて二軍に落ちるとか、そんなことで腹を立てているわけではない。選手にとって死活問題となるような二軍行きの通達を、酒飲みながら言うのはどうなんだと…。僕の中ではどうしても打ち解けられず、許せないことでした。

 引き金というか、布石はあったんです。そのころの僕はチームの中ではそこそこの立ち位置だったんですけど、92年のオープン戦でヒジをロック(固まる状態)しちゃった。それをコーチに言わずにトレーナー室に駆け込み、後で米田慶三郎コーチに怒られました。その後も打撃の調子は上がらず、僕はバスターの練習をずっと言われてやっていたんですね。開幕の中日戦で打席に立った時、走者がいなかったので普通に打って凡退しました。

 夜、名古屋の宿舎にいたら江尻亮ヘッドが来て「お前、今日どうしてバスターをしなかったんだ」と言われたんです。「いや、ランナーがいませんでしたから、する必要はないんじゃないですか。打席に入るときも何も指示はなかったので」と…。そしたら「監督が二軍に落とすと言っている。バスターをしなかったからだ」と…。

 要するに走者がいてもいなくてもこれからはバスターで打て、ということだったんです。僕がタイミングを引いて打つのがヘタだからなのかもしれないけど、そういう理由や意図を言ってくれないまま、走者がいなかったから普通に打って怒られるって、おかしいでしょう。

 その後、横浜に帰っての広島戦でした。僕は走者なしで打席に立って言われた通りにバスターの構えをし、三振してしまいました。それで監督室に呼ばれ、酒飲んで二軍行けですよ。言われたことをやっただけなのに…。ふてくされていたように見えたのかもしれない。

 監督室に入っていくとすぐに酒のにおいがするんです。僕もバスターの意図を改めて聞かないし、向こうから説明もない。「もう一回、泥だらけになってやってこい」と言われ、僕は「真っ白になってやってきます」と言うと、監督に「お前は何もわかっていない!」と怒鳴られたんですよ。


☆たかはし・まさひろ 1964年7月10日、愛知県豊明市出身。名古屋電気(愛工大名電)で1981年夏の甲子園大会に出場。82年のドラフト会議で横浜大洋に4位指名され、入団。内野手として88年に全試合に出場。88年から89年にかけて遊撃手の連続無失策(390連続守備機会)を記録した。96年オフにロッテに移籍し、99年に引退。2000年からロッテ、楽天、横浜で守備、走塁コーチを歴任した。11年には韓国・起亜、16年から4年間はBCリーグ・群馬でも指導した。現在は解説者や少年野球の指導にも当たっている。