【長嶋清幸 ゼロの勝負師(7)】 1986年がまた強烈な1年だった。前年に古葉竹識監督が勇退され、阿南準郎監督が就任された。俺も主力の一員になってはいたけど、打率が3割に届いたことがなく、いつレギュラーを外されるか分からないという危機感もあった。そんな時に阿南さんが言った。「俺は正直、若い選手は当てにしない。当てになるのは今、呼んだこのメンバーだ」って。これだけ信頼してくれてるんなら阿南さんを男にしないといけない、と思ったね。
古葉さんと違って手や足が出るタイプではない(笑い)。だからこっちで支えてあげようって。当時のカープは勝ち方を知っているし、どういう野球をすれば大丈夫、というのが分かっている。阿南さんは機動力の古葉野球を継承し、俺らもやってきたことをやってくれればいいと…。
前年優勝した阪神の勢いは相変わらずすごく、打線で唯一、気を抜けるのは平田勝男さんくらいだった。夏場まで広島、巨人、阪神の三つどもえになって、シーズン終盤は巨人とのマッチレースの展開。トーナメントみたいなもんで、1個負けたら終わりというギリギリの状況になった。
7連勝でマジック1にして、129試合目の10月12日(神宮)のヤクルト戦に勝って優勝を決めた。最終的にゲーム差なしで広島が73勝、巨人が75勝なんだけど、勝率でわずかに上回って2年ぶり5度目のリーグV。チームはずっとピリピリムードが続き、さすがの俺も口数が減っていたと思う。そこまでやってこれたのは相手が巨人だったからだし、もし相手が中日とか阪神とかだったらどうなっていたか分からない。
西武との日本シリーズも球史に残るものだった。初めて野球の怖さを知った。初戦の引き分けに始まって3連勝し、絶対に日本一を取れると思っていたら、まさかの4連敗…。あとで思えば、流れを変えた大きな場面があった。それは、王手をかけた10月23日の第5戦(西武)。1―1で迎えた9回、山本浩二さんがヒットで出て、一死二塁のチャンスをつくった。いつもならそこで間違いなく「代走・今井譲二」となるところだけど、浩二さんは同年限りでの引退が決まっていた。有終の美を飾らせてあげたい、最後まで出てほしい、という気持ちがみんなにあった。阿南監督も同じ考えで代走を出さなかった。
衣笠祥雄さんがヒットで続くんだけど、浩二さんは三塁でストップ、勝ち越すことができない。それで延長に入り、12回に投手・工藤公康にサヨナラヒットを打たれて1―2と惜敗。まだ1敗しただけだし、第6戦から地元に帰って1勝すればいい。しかし、浩二さんに代走を出さなかったあの場面をきっかけに流れがその試合だけでなく、その後にも大きくつながっていった。どうもがいても西武の勢いが止められなくなって…。
☆ながしま・きよゆき 1961年11月12日、静岡県浜岡町(現御前崎市)出身。静岡県自動車工業高から79年ドラフト外で広島入団。83年に背番号0をつけて外野のレギュラーに定着し、ダイヤモンドグラブ賞を受賞。84年9月15、16日の巨人戦では2戦連続のサヨナラ本塁打を放って優勝に貢献し、阪急との日本シリーズでは3本塁打、10打点の活躍でMVPに輝く。91年に中日にトレード移籍。93年にロッテ、94年から阪神でプレーし、97年に引退。その後は阪神、中日、三星(韓国)、ロッテでコーチを続けた。2020年に愛知のカレー店「元祖台湾カレー」のオーナーとなる。












