新日本プロレスの真夏の祭典「G1クライマックス」は16日に札幌で開幕する。昨年まで東京五輪開催の影響で秋開催となっていたが、今年は3年ぶりに恒例の夏開催となる。旗揚げ50周年のメモリアルイヤーのリーグ戦には、史上最多の28選手がエントリー。2000年大会以来、22年ぶりの4ブロック制が採用され、優勝決定戦(8月18日、日本武道館)まで連日、激闘を展開する。
今からちょうど10年前の12年8月12日両国国技館でオカダ・カズチカが初出場でG1最年少V(24歳9か月)を達成した。91年第1回大会の蝶野正洋の27歳11か月を大幅に塗り替える史上最年少記録だった。この時のオカダのすごさはG1初制覇にとどまらない。同年1月の凱旋帰国からIWGP王座奪取、そしてG1制覇と新日本史上でも前例のない速度でトップの座へと駆け上がったのだ。
オカダは10年1月から米TNAに無期限武者修行に出発。11年12月に帰国し、12年1月4日東京ドーム大会で同じくメキシコから凱旋したYOSHI―HASHIをレインメーカーで一蹴。「これから新日本にカネの雨をザクザク降らせてやるよ。俺だけを見ていればいい」と豪語するや、何とこの日のメインで鈴木みのるを撃破してV11のIWGPヘビー級王座連続防衛記録を更新したばかりの棚橋弘至の前に立ちはだかり、王座挑戦を要求したのだ。
まだ無名の存在だったオカダの行為には大ブーイングが飛んだ。凱旋帰国したばかりの選手がファンに認められるまでは時間を要する。しかし外道をマネジャーにつけてコメントを代弁させつつ、オカダは猛スピードでブーイングを歓声に変えていった。
同年2月12日大阪ではレインメーカーで棚橋のV12をストップ。中邑真輔の23歳10か月に次ぐ24歳3か月での戴冠は、ファンに衝撃を与えた。それでも見出しは「オカダ金星 棚橋転落」と、まだ棚橋が中心だった。若き王者は3月に内藤哲也、5月には後藤洋央紀を撃破してV2。勝利後に札束の雨をまき散らす光景は、やがて反感から歓声に変わる。6月16日大阪での棚橋とのリマッチに敗れるも、凱旋帰国時よりひと回りもふた回りも大きくなって、オカダは初のG1に臨んだ。決勝戦、Bブロックを単独首位で突破したオカダは、Aブロック代表のカール・アンダーソンと激突する。
「オカダは決勝戦でアンダーソンと激突。20分過ぎに試合が大きく動いた。ガンスタンをドロップキックで返すとツームストーンパイルドライバーを発射。最後はレインメーカーで激闘に終止符を打った。史上最年少優勝記録を達成し、初出場優勝は2008年の後藤洋央紀以来となった。『当たり前です。別にこれぐらいどうってことないですね。レベルが違うんで』とオカダは、口癖の『特にありません』と同様にそっけなく語った」(抜粋)
もはやブーイングは大歓声に変わっていた。当時のオーナー、ブシロード木谷高明会長も「120点。(オカダの優勝は)新しい時代を感じさせてくれた。非常によかった」と語った。その後の活躍は今さら語るまでもない。IWGPヘビー級は5度の最多戴冠、12回の最多連続防衛、通算30回の防衛記録を誇り、東京スポーツ新聞社制定「プロレス大賞」ベストバウトは7年連続を含む8回、MVPは4度獲得した。
新日本の広告塔としてメディアにも積極的に出演。もはや一般社会で最も有名なプロレスラーとなり、業界を代表する不動の地位を築いた感は強い。現在は無冠だが、オカダの12年の快進撃は数十年に一度の奇跡だった。あれから10年。今年の夏も熱いドラマに期待したい。












