“世界の荒鷲”こと新日本プロレスの坂口征二相談役が、17日に80歳の傘寿を迎えた。くしくも団体は旗揚げ50周年イヤーの真っただ中。11月には利子夫人との金婚式を控えるなど大きな節目が重なった今、荒鷲は何を思うのか? 本紙「傘寿記念インタビュー」では家族へ感謝の気持ちを述べるとともに、マット界の大御所として健在ぶりを発揮。旗揚げ記念日大会(3月1日、東京・日本武道館)に団体OBの集結を呼びかけ、コロナ禍からの業界復興案を緊急提言だ。

 ――おめでとうございます

 坂口氏(以下、坂口)こうして傘寿を迎えたけど、まだまだ気持ちは若いって。昔から何ごともくよくよせずにマイペースな生活してきたから、それが長寿の秘訣ってとこだね。

 ――11月には利子夫人との金婚式を迎える

 坂口 50年を迎えるってだけのことよ。(結婚は)30歳の時だから。その翌年に新日本に行ったんだもんな。大変な時期に女房には苦労かけたなって。仕事のことには一切口を出さず、子育てもちゃんとやってくれた。できればなにか金婚式でお返ししたいなって。

 ――長男の征夫はプロレスラー、次男の憲二はコーヒー焙煎士として活躍している

 坂口 好きな道を選んでるしね。家庭持って2人とも頑張ってるし、なんの心配もしてない。コーヒーもうまくやってるし、長男もDDTでまだやってるしプロレスが好きなんだよね、やっぱり。俺もテレビで見るけど、細い体でよく頑張ってるなって思うよ。

 ――新日本は旗揚げ50周年に突入した

 坂口 2年前の勢いを見てたらどこまで大きな団体になるかと思ってたけど、コロナで世の中同様なにもかもストップしてしまって。早くコロナが終わってもう一度チャレンジしてもらって、すごい団体になってもらいたい。新日本だけじゃなく、今は必死に各団体頑張ってる。俺は昔から言ってるけど、プロレスって好きなやつしかできない。昔とは随分変わったけど、みんな頑張ってくれてるよ。

 ――3月1日には旗揚げ記念大会がある

 坂口 新日本に貢献してくれたみんな、OBたちにぜひこういう機会に会場に見に来てほしい。本当にもう、俺も業界の年長者になったんだよな。2つ上の(ストロング)小林さんが亡くなられて。俺の次(の年長者)は(グレート)小鹿さんで、(アントニオ)猪木さんか、戦中の生まれは(笑い)。猪木さんは1月4日東京ドームのビデオを見て、少しは元気になられたと思う。一日も早く普通の生活に戻れるようになって、一緒に食事でもしたいよね。

 ――現在の新日本に対して思うことは

 坂口 ここ何年かは道場に行って毎年何人か入ってるのを見てるけど、もっと新人が欲しいね。今は他団体で活躍してから来る人間も多い。それが悪いわけではないけど、やっぱり棚橋(弘至)とか、ああいう一から新日本でっていう選手が出てもらいたい。これはプロレス界全体に言えることだけど、話題になるような「あれがプロレスに入ったんか」って言われるような新人が出てきてほしい。今のメンバーで何年できるか分からないし、新しいスターを育てないといけない。

 ――1月8日の新日本とノアの対抗戦が話題になった

 坂口 みんなが気合入れてやるからああいうのは新鮮味があるよね。機会があればやるべきだと思うよ。お互いに刺激し合うものだと思うし。(2011、12年に)「ALL TOGETHER」のような合同興行もあったけど、何年に1回かはオールスター戦のようなものをやってもらいたいよね。やっぱりこの前の対抗戦も超満員だったし、ファンってそういうのを望んでんだよな。見慣れた試合より他団体同士のっていうのを見たいのがファンだと思う。頻繁にできるものではないんだけど。

 ――活性化につながる

 坂口氏 業界全体としてコロナでお客さんが興行から離れてしまった部分はある。後楽園でも1500人入ってたのが半分以下になったり。それである程度、満足してしまってる部分もあるかもしれない。でも3年か4年か、時間はかかるかもしれないけど、コロナが収まったら引き戻すような努力っていうものを、今からプロレス界全体としてやってほしい。

 ――次のお祝いは8年後ですね

 坂口 次は米寿(88歳)か。それまでは元気でいたいと思う。女房にも迷惑をかけたくないし、週に3回ジムに行ったり健康に気をつけてる。毎年毎年元気で過ごすよ。

 ☆さかぐち・せいじ 1942年2月17日生まれ。福岡・久留米市出身。高校時代から柔道で活躍。明治大学卒業後、旭化成に入社し、65年に全日本選手権で優勝。67年、日本プロレス入門。73年に新日本プロレスに合流。UNヘビー級、北米タッグ、北米ヘビー級王座などを奪取し「世界の荒鷲」の異名を取る。89年6月、同社長に就任。90年3月に現役引退。会長、CEOを経て、現在は相談役。長男はプロレスラーの坂口征夫、次男は坂口憲二。