【長嶋清幸 ゼロの勝負師(33)】2004年から中日の打撃兼外野守備走塁コーチとして落合博満監督を支えることになった。それまで敵としてやっていて疑問に感じていたことは、荒木雅博の8番は意味がないということ。打てる打者ではないし、かといって塁に出たらやっぱり怖い。これは1、2番で我慢して使わないと意味がないということを監督に言ったら監督も「間違いねえな」と…。
 井端弘和、谷繁元信を中心に森野将彦とか若いのが1人頑張ってくれればと思っていた。強いチームって1人の余裕はある。3人、4人と代わるのはしんどいチームで、1人代わるのは、他が固定されていれば苦にならない。8人のうち最低4人は何とかなる選手がいれば、3人くらい調子悪くても何とか勝てる試合はある。8人全員が絶好調なんてあるわけないし、4人がいい時に他を何とか頑張らせて調子を上げさせ、そうしたら4人のうちの誰かの調子が下がっても何とかなる。シーズンはその繰り返しだったね。

 落合さんからコーチ陣に注文は何もなかったけど、俺みたいに落合さんに呼ばれてきたコーチにはマスコミが寄ってこなかったかな。まず落合さんを男にしたかったし、マスコミに余計なことは話さなかった。投手チーフコーチだった鈴木孝政さんがマスコミにいろいろ話したから二軍に配置転換されたという話もあるけど、それだけじゃなくて森繁和コーチとの関係もあったと思う。

 球界を驚かせたのは開幕戦で3年間登板のなかった川崎憲次郎を投げさせたこと。あれはビックリした。前年の秋季キャンプで落合さんから聞かされていた。いいものを持っているのに故障に苦しんでいる。じゃあ、いつ使うか。開幕戦はされど1勝、たかが1敗で、つぶしが利く。トーナメントじゃないから負けても、もう次ってなる。

 憲次郎の中ではダメならもう区切りがつく部分もあっただろうし、チームとしても「投げていないから勝てないわな…」で済んじゃうから、次に向けて切り替えやすい。一方で、もしかしたらすごいものを出してくれるかも、という期待もあるしね。結果は2回途中降板となったけど、チームは逆転勝利できた。

 落合竜は1年目からリーグ優勝。シーズン途中までは“まさか”だったけど、後半から波に乗れた。監督を男にしたい、という気持ちがすぐに実った。中日で現役時代によく一緒にいた間柄ということもあり、毎日、監督室に呼ばれて監督と話していた。説教じゃなくて世間話だよ。それくらい信頼してくれていたと思う。

 その後の西武との日本シリーズでは、こっちが先に王手をかけながら3勝4敗と“逆転負け”してしまった。勝負を分けたのは、中日の3勝2敗で迎えた第6戦。俺は現役時代の1986年、西武との日本シリーズを思い出した。

 ☆ながしま・きよゆき 1961年11月12日、静岡県浜岡町(現御前崎市)出身。静岡県自動車工業高から79年ドラフト外で広島入団。83年に背番号0をつけて外野のレギュラーに定着し、ダイヤモンドグラブ賞を受賞。84年9月15、16日の巨人戦では2戦連続のサヨナラ本塁打を放って優勝に貢献し、阪急との日本シリーズでは3本塁打、10打点の活躍でMVPに輝く。91年に中日にトレード移籍。93年にロッテ、94年から阪神でプレーし、97年に引退。その後は阪神、中日、三星(韓国)、ロッテでコーチを続けた。2020年に愛知のカレー店「元祖台湾カレー」のオーナーとなる。