【久保康生コラム】09年13勝を挙げ大黒柱になる手前でこんな試行錯誤が…

2022年01月06日 11時00分

2010年の能見の投球フォーム(東スポWeb)
2010年の能見の投球フォーム(東スポWeb)

【久保康生 魔改造の手腕(23)】実力があるにもかかわらず、何をやっても結果につながらない。入団から4年間、能見篤史はもがき苦しんでいました。新人といっても入団時にはもう25歳。当時エースとして君臨していた井川慶(阪神、ヤンキースなど)は同い年です。当然、即戦力としての期待が重圧にもなっていました。

 何年も同じことを繰り返して、それでも成績が出ない。自ら考えうる引き出しを出し尽くした。現状を打破したい心の奥底からの渇望が、能見にはあったはずです。

 そのタイミングで能見は腕を少し下げて投球するという試みを、自ら見せてくれました。このタイミングで私も動きました。

 美しいフォームで奇麗な球筋。でも、能見の投球には何か変化が少ないなという印象でした。打者の手元で球筋が横にひょいと曲がるわけでもない。全部同じボールが同じラインでくるので相手打者からすると対応しやすいんです。

 もともとの手の高さから、横へ下ろしていって、ボールに角度をつけて右バッターの懐に入っていく軌道を出すことに、まずは取り組みました。右打者の内角のストライクゾーンをかすめて、そのままボールゾーンに突き抜けていくような球筋です。

 その上で外角に少し抜いたボールを投げるという、サウスポー特有のピッチャーへの変貌を図りました。もともと、能見は制球力もあったのでしっかりハマりました。

 左投手には当然、対戦相手として右打者が多く並びます。150キロの直球を持っている能見ですから、前述した投球を覚えると打者は一気に対応できなくなります。

 左打者は体を一塁方向に動かしながら左翼方向のフェアゾーンへ打球を放つ、いわゆる「流し打ち」が可能です。この理由で右の横手投げに対して打者は有利とされています。

 ですが、右打者は三塁方向に体を逃がしながら右翼に「流し打ち」はしづらい。能見のボールの軌道は右打者からすれば、かなり厄介なものになりました。しっかり捉えるとファウル。フェアゾーンに打つと詰まるという現象が起こります。

 そして、外角の直球を踏み込んで打ちにいくと抜かれてしまう。打者としては内外角ともに意識しなければいけないことが増え、狙いを絞ることができなくなります。

 能見はもともと、奇麗なオーバースローでフォークを投げる投手です。基本的には上から真っすぐの角度で直球、フォークを投げる方が目の錯覚を使えるからいいんです。でも、それでもフォームが奇麗すぎて、コントロールが良すぎて打たれるなら次の対策が必要です。

 動作を見ていると能見の腰の回転という部分で、少し腕を下げるフォームの方が合っているなと感じていました。それがしっかりハマって、本人も自信を持ってマウンドに上がれるようになりました。

 お手本のような美しいフォームでも打たれてしまっては稼げません。まず基本は作っていくのですが、そこで結果が出なければ、今度はそれをバラしたり、いらないものを省いたり、必要なものを加えたりしていきます。

 2009年に能見が13勝を挙げ先発で本当に大黒柱になる、その手前のときにこうした試行錯誤がありました。

 09年から就任した真弓明信監督は「お前が能見でいくんだと思うならどんどん使っていいから」と言ってくださいました。柳川商の5つ先輩でもある真弓監督が起用を後押ししてくださったのも、能見の飛躍につながっています。

 ☆くぼ・やすお 1958年4月8日、福岡県生まれ。柳川商高では2年の選抜、3年の夏に甲子園を経験。76年近鉄のドラフト1位でプロ入りした。80年にプロ初勝利を挙げるなど8勝3セーブでリーグ優勝に貢献。82年は自己最多の12勝をマーク。88年途中に阪神へ移籍。96年、近鉄に復帰し97年限りで現役引退。その後は近鉄、阪神、ソフトバンク、韓国・斗山で投手コーチを務めた。元MLBの大塚晶文、岩隈久志らを育成した手腕は球界では評判。現在は大和高田クラブのアドバイザーを務める。NPB通算71勝62敗30セーブ、防御率4.32。

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