西武の松坂大輔投手(41)が19日の日本ハム戦(メットライフ)に先発登板して現役生活に終止符を打った。背番号「18」のユニホームに身を包み、横浜高の後輩・近藤に渾身の5球を投じ、MAX118キロで最後は四球だった。1999年のプロ入り後、数々の伝説を残したが、その中でも輝くのがレッドソックスに移籍した2007年のワールドシリーズ制覇だ。メジャー1年目で味わった栄光のシャンパンファイトの陰には本紙記者とのジーンズを巡る秘話があった。義理堅く、優しい男の真実を初公開する――。 

【取材の裏側 現場ノート】渾身の5球だった。平成の怪物・松坂大輔のラストマウンドを目にし、思わずグッときた。満身創痍の体が悲鳴を上げているにもかかわらず、最後の力を振り絞って燃え尽きた。ここまで長い間、自身を支えてくれたファンやチーム関係者、かつての仲間や親しい人たち、そして愛する家族のために感謝の意味を込め無理して登板してくれたのだろう。

 松坂という男は人一倍義理堅く、とても優しい人物だ。思い起こせば西武からレッドソックスへ移籍したMLB1年目の2007年シーズン、こんなことがあった。知り合いの某有名デニムブランドの関係者から「ぜひ松坂選手にウチのジーンズをはいてもらいたい」と頼まれ、松坂の取材で渡米する際に現地まで持っていくことになった。デザインや種類は記者がチョイス。松坂本人に手渡すと「カッコいいですね。ありがとうございます。ラッキーアイテムにしますよ」と大喜びで、以降は登板日にそのジーンズをはいてきてくれる機会が多くなった。

 ところが同年の後半戦から松坂は負けが込み始め、一時不調に陥ってしまった。その敗戦試合の日にほぼ決まって球場にはいてきていたのが、あのジーンズ。「ラッキー」どころか「アンラッキー」なアイテムだったことは、本人も気付いていたはずだ。某民放局の関係者からは「また、松坂はお前が持ってきたジーンズをはいているぞ。やっぱり縁起悪いんじゃないのか」と突っ込みを入れられたこともあった。

 何だか申し訳なくなっていたが、それでも松坂は黙ってポストシーズンでもはき続けてくれていた。そして最後は好不調の波を乗り越え、ロッキーズとの激闘を制し悲願のワールドシリーズ制覇を達成。チームを世界一に導いた右腕はシャンパンファイトを終えた後、敵地クアーズ・フィールドのグラウンドで満面の笑みを見せ、こう謙虚にお礼を言ってくれた。

「三島さんのジーンズのおかげです!」

 間違いなく気を使ってくれた一言だったが、胸にジーンと響いた。当時、一緒に撮らせてもらったツーショットは今も「家宝」として後生大事に保管させてもらっている。

 最後に松坂本人へ送ったショートメールと同じ言葉で締めさせていただきたい――。
 レジェンド・松坂大輔を取材する機会に恵まれ、同じ空間と時間を共有できて本当に幸せでした。たくさんの夢と感動を与えていただき、ありがとうございました。まずはゆっくり休んでください。(MLB担当2007年・三島俊夫)