【元局アナ青池奈津子のメジャー通信】「僕の出生地モンテ・クリスティ(ドミニカ共和国北西部)やキミが入国したプンタカナ(最東部)は平坦。サンティアゴは渓谷。国内2番目の大きな街で、教育も盛ん。海は山の向こうに車で40分ぐらいで、ビーチは実にきれいだ。この国は本当に美しい」

 サンティアゴのホテルまで自らの運転で朝8時に迎えに来てくれたトニー・ペーニャ。お願いする間もなく、母国について語り始めてくれた。無限の愛情を込めながら。野球を教える時のトニーもこんな感じなのだろうか。

 本当はドミニカ共和国政府がトニーにつけた護衛がいるらしい。軍隊から1人、警察官が1人。「今の兵士は護衛を始めて15年、警官は12年になるかな。1度も必要としたことはないけどね。自分で運転したいし、自由にあちこち行きたい。僕には敵がいないから、護衛は必要ない。とてもシンプルな人間」

 起床は朝6時ごろ。野菜スムージーとコーヒーを飲んで、飲料水事業や農園の管理などその日に応じて忙しく過ごし、夕方には家族で食事する。

「毎日全員がうちに集まって夕食を食べるんだ。息子2人、娘1人、孫9人。みんな近所で仲が良い。妻のおかげだ。食後には孫たちと映画を見たり、ゲームをしたり。とてもラッキーな人生だ」

 気持ちばかり、ロサンゼルスの日系スーパーで買った日本のお菓子をお土産で渡したら思いのほか喜んでくれたのだが、お孫さんらとシェアするという。こんなことならもっと持ってくれば良かったと後悔した。

 サンティアゴの街を出ると、すぐに農業地帯に入った。そこからトニーの畑まで、農業に携わる人々の住む小さな家々が並ぶエリアをいくつも通った。その辺りは2階建ての建物がせいぜいだろうか。こぎれいにしているところが多く、軒先でくつろぐ人々の顔は明るかった。

 島の東部はサトウキビの栽培が盛んで、西部へかけて、プラインテイン(調理用バナナ)、さつまいも、ココナツ、米、パパイヤ、スイカ、バナナなどフルーツの畑が広がる。野良犬ならぬ野良ヤギが多いなと思ったら、島民が新鮮なヤギ肉を求めて訪れるという地域で、皮を剥がされたヤギが何頭もつるされていてびっくり…などということもあった。農産物の多くはカリブ海近隣諸国か欧州方面へ輸出されるそうだ。

 ドミニカ共和国は道路インフラが進んでおり、トニーが大リーグ入りしたころにはなかったという舗装された高速道路のおかげで、地元までの移動時間は半減したという。高速といえど途中から車線は1本。道すがら、果物や野菜を売る小さな売店などもある。トニーは1時間くらい走らせたところで、車を売店の前に止めて「ちょっと待ってて」と外に出た。

 箱に積まれたバナナを何やら吟味し「お釣りはいらないよ」とおばあさんに紙幣を払って戻ってくると「おいしいから食べてみて」。日本で見るバナナより少し短めだろうか。甘さ凝縮だった。

「僕の体はバナナでできているんだ。バナナの栄養価は過小評価されているんじゃないかな」

 トニーはプロ入り前、父とともにバナナ農園で働いていたことを言及しているのだが、そのまま続けて「ゴーイング・バナナっていうでしょ?」と笑った。トニー、それ、クレイジーになるって意味では…。 =続く=


 ☆トニー・ペーニャ 1957年6月4日生まれ。64歳。ドミニカ共和国モンテ・クリスティ州出身。右投げ右打ちの捕手。80年にパイレーツでメジャーデビュー。実働18年間で1988試合に出場し、1687安打、107本塁打、708打点。現役引退後はロイヤルズの監督、ヤンキースのコーチなどを歴任。第3回、第4回WBCではドミニカ共和国代表監督を務め、第3回大会では母国を世界一に導いた。