広島の第一期黄金時代を支えたレジェンドがまた1人この世を去った。豪快な投げっぷりで1975年に広島初となるセ・リーグ制覇などに貢献した池谷公二郎(いけがや・こうじろう)さんが29日、多発性骨髄腫のため死去した。74歳。巨人コーチ時代に指導を受けた本紙評論家の前田幸長氏が追悼した。

 池谷さんは静岡商高を卒業すると社会人野球の金指造船、日本楽器で活躍。1972年度に広島からドラフト1位指名を受けた。74年に入団するとリーグ初優勝となった75年にはチーム2番手となる18勝をマーク。さらに翌76年には20勝を挙げ最多勝、沢村賞に輝いた。85年に現役を引退し通算成績は325試合に登板し、103勝84敗10セーブ、防御率4・13だった。

木佐貫を指導する巨人コーチ時代の池谷公二郎さん(2004年)
木佐貫を指導する巨人コーチ時代の池谷公二郎さん(2004年)

 池谷さんの独特のフォームは唯一無二だった。右腕を腰の後ろまで回し、左腕を高く掲げ、遠心力で投げるシーソーのようなフォームから「シーソー投法」「ぎっこんばったん投法」と呼ばれ人気を博した。引退後は広島や巨人でコーチとして指導にあたり、野球解説者として活躍した。

 広島球団は「謹んで哀悼の意を表し、心よりご冥福をお祈り申し上げます」とレジェンドを悼んだ。またこの日、マツダスタジアムで行われた練習では池谷さんへの哀悼の意を表し、ナインが喪章を着用したほか、球場には半旗が掲げられた。

 本紙評論家で2004年の巨人で投手コーチと選手の関係だった前田幸長氏は「闘病中だったことは伺っていました。ご冥福をお祈りします」と故人を悼んだ。

 続けて「池谷さんが木佐貫投手を熱心に指導されていたのをよく覚えています。自分は34歳の年でチームではベテランに近かったこともあり、池谷さんに調整方法などほとんど任せてもらえました。遠征先では池谷さんと野球以外の話をすることの方が多かったと思います。その年は44試合に登板することができましたが、楽しくプレーできたのは池谷さんのおかげです」と思い出を振り返った。