【グレイシーハンターの〝真実〟 IQレスラー桜庭和志 実録 桜道(11)】新団体キングダムの練習環境は素晴らしかった一方で、台所事情はなかなか厳しいようでした。1997年5月4日に国立代々木競技場第二体育館で行った旗揚げ戦は満員になったんです。だけど6月、7月と代々木第二で興行をやるも、観客動員は急降下。僕らのギャラもどんどん減っていきました。

オーランド・ウィット(上)を投げ飛ばした(97年7月)
オーランド・ウィット(上)を投げ飛ばした(97年7月)

 そんな状況だから「大丈夫かな?」っていうのはあったと思います。でも、僕はそんなに危機感はなかった。「まあ、半分でも出てるからいいや。来月はちゃんともらえるかもしれないし…」みたいな(笑い)。あとは大学の頃、内装のバイトをやっていたんで「ダメならそれをまたやろう」っていうのもあったんですよね。内装って僕の性に合っていて面白かったんですよ。実は多摩地区にある銀行の4階にある一部屋は僕が内装したんですよ(ニヤリ)。だからもしダメだったらそちらの道に行こうと思ってましたね。

 そんな中、この年の12月にとあるオファーが舞い込みます。それは「21日に行われる総合格闘技イベント『UFC Japan』に参戦しないか」という話でした。14日にポール・ヘレラ(米国)という選手と試合をして、数日後のオファーでした。試合直後だったけど練習はしていたし、どこもケガしていなかったから「大丈夫ですよ」って答えました。ヘレラ戦は短い時間(1分18秒、足首固めで一本勝ち)で終わっていたから連戦できたんです。

 ルールはもちろん、アルティメット(総合格闘技)でした。もちろん、その存在は知っていましたし「危ないなあ」って思ってましたね。だけど、この当時はUFCも素手じゃなくて、オープンフィンガーグローブ(OFG)を着けていたんですよね。だから「キングダムと一緒だな」って。キングダムもOFGを着けていて、この頃はもうだいぶ慣れていたんで。だから1年前に比べたら印象は変わっていたと思います。

 対戦相手はマーカス・コナン(ブラジル)。カーウソン・グレイシー柔術の黒帯の選手でした。ただ、練習を通して柔術っぽい動きは、もうなんとなく分かっていましたから。もちろん、僕もそこまで柔術の深いことを分かっていたわけではないけど、かといってまったくの〝未知との遭遇〟ではなかった。「下からやってくるぞ」みたいな意識はありました。

 感覚では全部レスリングなんですよ。プロレスもMMA(総合格闘技)も。だから相手が柔術の選手でも…まあ「コナンはちょっとデカいなあ」とは思っていたけど、ケガもなかったし、最低限の練習はしていたんで〝大丈夫だろう〟とは考えていました。

 

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