2023年3月に「日本障がい者レスリング連盟」を設立し、新たな挑戦が始まりました。21年東京五輪・パラリンピックでは、同年3月に母校の足利大付高(旧・足利工大付高)がある栃木・足利市で聖火ランナーを務めました。
その東京大会を見ていて、パラスポーツにレスリングがないことを知りました。柔道は視覚障がい者の競技として行われるけど、義足ではできない。でもレスリングだとグラウンドの状態から始められる。格闘技の中で一番適していると思い、それを立証してやろうと考えました。一から競技をつくるのは、すごい労力と時間とお金がかかります。ルールも自分で考えて、特注のキャンバスは自費で約100万円をかけて作りました。
23年7月に埼玉・富士見市で開催された全日本社会人選手権のフリースタイル125キロ級で、37年ぶりにアマレスの公式戦に出場しました。初戦で釼持洋祐に0―10のテクニカルフォールで敗れましたが、当日はNHKなど報道各社が取材に訪れました。
もちろん、この試合に出場したのは障がい者レスリングを広めるため。この時点で競技者は自分しかいなくて、普及のために大会に出ることに意義があると思いました。
そして25年8月30日。三重・四日市市で開催された「第1回藤波朱理杯三重県少年少女レスリング大会」で、仕事中の不慮の事故で右上肢を欠損した中西茂登樹さんと初のエキシビションマッチを行いました。パリ五輪女子53キロ級金メダルの藤波朱理(日体大)の父・俊一さんが日本障がい者レスリング連盟の専務委員を務めていて、試合の審判をしてくれました。結果は6―4で中西さんが勝利しました。
今の目標は、10年後にパラリンピックの正式種目になること。そのためにはロビー活動をしていかないといけない。障がいを持つ子供たちを啓発し、将来的に出場してもらいたいですね。自分は糖尿病の悪化から右ヒザ下を切断して、強い絶望を感じていましたが、今は前向きに感謝の気持ちを持って生きています。同じような気持ちの人たちに、希望を与えたいですね。
また、22年2月にロシアからウクライナへの軍事侵攻が始まりましたが、ともにレスリングの盛んな国でした。戦争で地雷を踏み、足を失われた方も多い。この競技をすることで体幹が強化されてリハビリにもなるだろうし、これから平和になるのを信じて始めてもらいたいです。
自分の性格的に順風満帆よりも、いろいろ苦労したり試行錯誤するのが楽しい。障がい者レスリングは現時点ではあまり認知されていません。まだ逆境ですが、これからも正式種目入りを目指して頑張ります。 (終わり)













