2019年4月28日のDDT後楽園ホール大会に初参戦しました。10年11月に引退試合をしましたが、DDTの高木(三四郎)さんから東京五輪の前に“ミスターオリンピック”として「継続的に出場してほしい」と依頼されました。

 もともとSWS時代の35歳の時に病院で遺伝の影響もある2型糖尿病だと診断されました。薬も処方されたけど、飲んだり飲まなかったり。食事制限せずに過ごしてきました。そして40代後半の時に医者から「糖尿病だから健康管理した方がいい」と忠告されて。55歳ごろから管理し始めましたが、60代前半あたりから靴擦れとかで足が化膿し、なかなか治らないことがありました。

 そして19年6月2日の愛媛・アイテムえひめ大会に出場するため、自宅のある群馬・高崎から大阪まで夜行バスで移動し電車で会場まで向かう途中で右足中指の爪がポロッと取れました。痛くもなかったので試合に出場し、群馬に帰ってから病院に行けばいいやと…。でも手遅れでした。先生から「右足が壊死しているので早いうちに取った方がいい。早くしないとどんどん(雑菌が)上がってきて、最終的にヒザまで切断することになる」と。この時は死刑宣告を受けたような気分で、厳しかったな。

 その翌日の午前10時に入院し、午後2時から緊急で右ヒザ下の切断手術が行われました。もちろん怖さもあったし、全身麻酔だと思っていたら部分麻酔だった。意識がある中で、電動ノコギリで骨を切る「ウィーン」という音が聞こえる。その音と衝撃が伝わり、冷や汗が出てきて血圧も上がってきました。手術は成功しましたが、その後のリハビリも想像を絶する大変さでしたね。

谷津嘉章(左)は公開練習でタックル(21年5月)
谷津嘉章(左)は公開練習でタックル(21年5月)

 そうして歩行練習をする中で、高木さんから「義足でプロレスデビューしませんか?」と提案されました。彼もエンターテイナーですからね。オファーを引き受けることを決め、高木さんの高校の同級生・川村慶さんが代表取締役を務める川村義肢株式会社の協力により、プロレス用義足が完成しました。

 20年6月7日のさいたまスーパーアリーナ大会で復帰する予定でしたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止。そして21年6月6日に同会場で開催された4団体合同興行「サイバーファイトフェスティバル」の「時間差バトルロイヤル」で再デビューをすることができました。

 義足でリングに立つ怖さはありましたね。ロープワーク、スープレックスとかうまくできるのかなと。いざリングに上がって恥ずかしい気持ちもあったけど「谷津、よく戻ってきた!」みたいな歓声も大きかった。この頃には、自分の障がいを前向きに捉えることができていました。