【平成球界裏面史 近鉄編139・最終回】近鉄バファローズが消えて22年目のシーズンを控えている。平成16年(2004年)の近鉄消滅、オリックスバファローズの誕生から球界は「変わった」と言われる。平成という時代の転換期、NPBとしても取材サイドとしても近鉄の消滅という史実は大きな衝撃を残した。

優勝トロフィーにキスするローズ(2001年9月)
優勝トロフィーにキスするローズ(2001年9月)

 合併という事実は出来事として2文字で片付く。しかし、現場にいたそれぞれの人々にとってはプロ野球に携わる職業であれば何でもいいのか、それとも近鉄でなければいけない理由はあるのか…など、さまざまな思考を巡らせたに違いない。近鉄球団関係者にとっては非常に重い問題であり、球界全体にとってもプロ野球のあり方を考えさせられた有事だったと言っていいだろう。

 表向きの理屈は、球界再編、経営合理化、将来のためと、耳障りのいい言葉が並んだ。だが裏側で進んでいたのは、もっと生々しい現実だ。プロ野球チームとして強いか弱いかとは別の軸で、伝統ある球団の運命が決まっていく。勝ったところで未来が保証されない空気の中、応援してくれる近鉄ファンの前でどんなプレーを見せればいいのか。選手もスタッフも、それぞれの立場で現実を受け止めながら、日常だったはずの非日常を懸命に過ごした。

 当時の球界はまだ巨人中心で回っていた。パ・リーグ球団の多くは経営難に悩まされ、10球団1リーグ制となれば巨人との公式戦も見込まれ、都合がいい球団もあったに違いない。関西にかつて存在した南海ホークスは福岡ダイエーホークスに生まれ変わり、阪急ブレーブスはオリックスブルーウエーブへと変遷していた。

 人気があるとされたセ・リーグ球団でさえ関西には阪神タイガースの1球団が存在するだけであり、1リーグとなれば当然、近鉄が邪魔になったのかもしれない。豪快で人情味がある、そんな昭和な球団は時代遅れだったのであろう。今となっては「いてまえ」が令和の時代にそぐったのかは未知数だが、近鉄は静かにNPBの歴史から名前を消した。

 合併で球団は消えた。だが、近鉄に携わった人間は消えていない。近鉄にいた選手、コーチ、スコアラー、編成、スカウト、各紙の番記者、放送各局の担当デイレクターらの面々が球界のどこかで生き延び続けている。その各々(おのおの)が近鉄という文化を語り続けている。近鉄の関係者が集まると今でも「近鉄の匂いがする」。

 現在でも年に1度、近鉄最後の指揮官、梨田昌孝氏と最後の球団代表・足高圭亮氏(故人)を当時のメディア関係者で囲む会「梨高会」が存続している。当時と違うのは元梨田監督の専属広報で現在は追手門学院大野球部監督の加藤正樹氏が、現場を仕切らないことくらいだろうか。

足高圭亮氏(左)と梨田昌孝氏
足高圭亮氏(左)と梨田昌孝氏

 近鉄を愛する人々に伝えるため、近鉄という文化を語り続ける場所は今でも生きている。近鉄は負けたのではない。球団史が途切れようとも、あの独特で豪快な文化の語り部たちが存在し続けている。平成球界裏面史の最後にこれだけは書いておきたい。近鉄はまだ終わっていない。

「いてまえ魂」と「青波魂」の垂れ幕(2005年)
「いてまえ魂」と「青波魂」の垂れ幕(2005年)