米国で武者修行中の1983年秋に、新日本プロレスの坂口征二さんから「そろそろ日本に帰ってこい」と帰国を促す電話がありました。「途中でハワイに行って(タイガー)服部レフェリーと長州(力)がいるから2、3泊して会ってこい」という指示を受けたので向かいました。
長州さんは82年の「かませ犬事件」後にマサ斎藤さん、カンちゃん(キラー・カーン)らと「革命軍」を結成し、後に「維新軍」と名づけられました。ハワイで長州さんに会ったら「お前、俺のところに来るんだよ」と言われて。「え? 何のことですか?」って聞いたら「聞いてないの? お前、俺のところでやるんだよ」となって…。
自分から維新軍に入りたいと言ったわけではないのに話が違うじゃないかと。会社からの指示なので従うしかありませんが、組織の枝葉になるのに乗り気ではなかったんです。今思えば長州さんと同じアマレス出身なので、適材適所に充てられたのだと思います。
そして凱旋帰国後の83年10月5日に会見を開き、維新軍への合流を発表しました。同7日の後楽園ホール大会では長州さんと(アニマル)浜口さんのセコンドにカンちゃんとつきました。長州さんも「かませ犬事件」からプレッシャーを感じていたと思います。当時(アントニオ)猪木さん、藤波(辰巳)さん、長州さんという序列があって、このままだとずっとナンバースリー。そこからはみ出したことで見事に存在感が光りました。
でも長州さんは一人で動いたわけだから孤独ですよね。だから最初は浜口さんみたいにプロレスのうまい人が軍団に加わり、それから自分のような落ち着いている人が入ったのだと思います。
維新軍での活動が始まり、11月3日の蔵前国技館大会では正規軍(猪木、坂口、藤波、前田明)とシングル4連戦をしました。自分は猪木さんと対戦。場外乱闘で流血し、フォールを奪われて完敗しました。
84年4月19日に同会場で行われた正規軍(猪木、藤波、高田伸彦、藤原喜明、木村健吾)との5対5の勝ち抜き戦も印象に残っています。自分は中堅で、先鋒の藤波さんを倒した後、次鋒の高田と戦いました。
高田は猪木さんに憧れて入門してきて、若くて生きが良かった。そんなに身長は大きくないけど、ハイスパートレスリングと空中殺法とキックを使いたがっていた。全部の技を受けて「高田はこれから伸びていくな」と感じました。結局、勝ち抜き戦で高田を倒しましたが、中堅の木村さんに敗れた。大将戦で長州さんが猪木さんにレフェリーストップ負けで、維新軍が敗れました。
振り返ると、維新軍で活動していたことが一番楽しかったですね。













