武者修行を行っていた米国でカンちゃん(キラー・カーン)と同居生活を続けている中、1981年6月24日に蔵前国技館で日本デビュー戦を迎えることを知りました。カンちゃんは日本でもたまに試合をしていて、突然「谷津さんは幸せだよね」と言われて。「なんでですか?」と聞いたら「谷津さん、蔵前国技館でデビュー戦をやるんだよ」って教えてもらいました。
ただ対戦相手はカンちゃんも「分からない」と。6月に入りマスコミからデビュー戦に向けて電話取材されたのを覚えています。新日本プロレスに聞いても、対戦相手は教えてくれず「誰とやるんだろう…」ってずっと考えていました。
そして6月20日に帰国し、21日に会社から対戦カードを聞かされて、とても驚いた。メインイベントで(アントニオ)猪木さんと組んで、全日本プロレスから電撃移籍してきたアブドーラ・ザ・ブッチャーとスタン・ハンセンと戦うことになったんです。
国内デビュー戦は、テレビ朝日系で全国生放送。試合前にアナウンサーから「どうですか? 今の心境は?」と聞かれると「猪木さんがいるから安心していられます。自分にも秘策があるので頑張ります」と答えました。いざ花道を歩いて入場すると、蔵前国技館内の異様な盛り上がりで押しつぶされそうになりました。平常心でいられるはずがなく、とても緊張していました。
そして試合開始のゴングが鳴り、最初に自分が出てハンセンにドロップキックを2、3発放ちました。だけど、途中で2人に捕まってしまい、向こうにペースを握られてしまいました。殴る蹴るの猛攻を浴び続けていると、ブッチャーはパンツからチョーク(凶器)を取り出して、自分を突いてきました。
さらにリング下にあったビール瓶2本で額を殴られて、あれが本当に痛かった。今でもその痛さがよみがえってくるぐらいだし、思い返せばリンチのようです。半端じゃないぐらい流血し、最後はハンセンのウエスタンラリアートで、ピンフォールを奪われました。
しかし、当時は60分3本勝負。試合は続き、2本目は自分が再び集中砲火を浴び、相手チームの反則負け。3本目も、また自分が一方的にやられていると、猪木さんがビール瓶を持ち出して、レフェリーを殴打。そのまま反則負けとなり、結果1―2で相手タッグの勝利となりました。
この試合後、家族や友人から電話がかかってきて「プロレスは辞めた方がいいんじゃないか」と、何人からも言われました。だけど、ここで負け犬みたいに辞めるわけにはいかない。屈辱のデビュー戦を経て、2度目の海外武者修行をすることになりました。













