海外武者修行中の1981年6月24日。東京・蔵前国技館で行われた日本デビュー戦ではアントニオ猪木さんと組んで、アブドーラ・ザ・ブッチャーとスタン・ハンセンと対戦し、こてんぱんにやられました。その年の9月まで巡業に参加した後、再び渡米しました。
新日本からはフロリダ州のタンパにヒロ・マツダさんがいるから「プロレスを教えてもらうように」と指示を受けました。ニューヨークからフロリダ半島の手前まで約1800キロ、自分で車を運転して向かいました。マツダさん自体はアマレス経験がないけど、レスリングが好きでいろんな話をし、半年間ぐらいトレーニングを積ませてもらいました。
当時は猪木さんの影響かわからないけど、ある意味でエンターテインメントというか“誰でもかかってこいブーム”があり、異種格闘技戦をすることも…。非公式ながら1試合200ドル(約3万円)で、アメリカンフットボールや空手経験者の外国人と、1日3人まで相手をしていました。
そんな試合に(カール)ゴッチさんも見に来ていて、だんだん試合にも口出しするようになってきて…。最初はアドバイスと思って、言うことを聞いていたのですが「もうちょっと遠慮せずに目に指を入れろ!」とか言ってくることも。最終的に英語で「ふざけんな! ほっといてくれ!」と怒ってしまうと、ゴッチさんは来なくなりました(苦笑)。
渡米中には、テキサス州ダラスのプロレス団体「WCCW」のブッカーを担当していたケン・マンテルに会いました。過去にマンテルがカンちゃん(キラー・カーン)と一緒に旅をしていたこともあり、カンちゃんの話をしたら「おお、カーンは元気か!」と言って、採用してくれて。
それでリングネームを「トラ・ヤツ」にして(ザ・グレート)カブキさんと一緒に剣道のステッキ(つえ)を持って、ヒールレスラーとしても戦いました。ただ、マスクを着けてヌンチャクを持って戦ったり、インパクトのあるカブキさんと比べたら自分はどうにもならない(笑い)。カブキさんはテキサスで稼いだ後、全日本に戻ってブレークしました。
トラ・ヤツとして活動している中で、82年10月8日の新日本後楽園ホール大会で、長州(力)さんの「かませ犬事件」(藤波辰巳に宣戦布告)が起こりました。当時は長州さんが(アニマル)浜口さんを従えて、長州軍団をつくったころ。それが日本でブームになっていることは、米国で知りました。
このころ、自分は順風満帆で、猪木さんからは将来のスターダムとして期待されていました。まさか長州さんと組むことになるとは、想像していませんでした。













