【平成球界裏面史 近鉄編137】阪神から近鉄に移籍した平成13年(01年)、代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームランを放ち一躍、時の人となった北川博敏は前向きな姿勢と明るい性格で野球選手としての居場所を確保した。阪神での6年間、打撃を期待されながら無本塁打、3打点だったが、平成13年(01年)に6本塁打、35打点。平成14年(02年)はオープン戦での故障が影響し43試合で打率2割6分6厘、1本塁打、8打点と精彩を欠いたが、その後に実力を発揮していく。
平成15年(03年)は不振に陥った主砲・中村紀洋に代わり自身初の4番で起用されるなど99試合に出場し打率3割9厘、13本塁打、50打点。平成16年(04年)は捕手から完全に内野手へ転向。開幕前のオープン戦で一塁のレギュラーだった吉岡雄二がアキレス腱断裂の大けがを負ったこともあり、5番・一塁として開幕スタメンに名を連ねた。
このシーズンでもアテネ五輪出場でチームを離れた中村に代わりに4番として出場。近鉄とオリックスとの球団合併問題が浮上する中、自身はストライキの2試合を除く133試合にフル出場し打率3割3厘、20本塁打、88打点とキャリアハイの数字を残した。プロ10年目にして初めて規定打席に到達しての3割、20本塁打超えで実力を証明してみせた。
近鉄最後の試合となった9月27日のオリックス戦(Yahoo!BBスタジアム)では4回表に具臺晟からソロ本塁打を放った。これは大阪近鉄バファローズとして最後の本塁打、打点となっている。
シーズン中、北川はお立ち台に立つとヒーローインタビューで涙を流したことがあった。「近鉄は自分の野球人生を変えてくれた球団。それなのに、無くなってしまうと思ったら…」。それほどに、近鉄に対して愛着を持つ選手となっていた。平成16年(04年)シーズン終了後には近鉄の消滅に伴って発足した新球団・東北楽天ゴールデンイーグルスとの選手分配ドラフトを経てオリックス所属となり、近鉄時代に背負った背番号「46」の半分である「23」を選択した。
平成17年(05年)は新球団のオリックス・バファローズの開幕戦、3月26日の西武戦(西武ドーム)では5番・一塁としてスタメン出場。同27日の第2戦、7回には長田秀一郎から3ランを放ち、球団第1号本塁打を記録した。北川は近鉄最後の本塁打とオリックスバファローズ最初の本塁打を打った打者として、今でも球団の歴史に名を刻んでいる。
平成16年(04年)から平成22年(10年)まで7シーズン連続で100試合以上に出場しチームの主軸、ムードメーカーとして活躍。平成22年(10年)9月にはNPB通算100本塁打、1000本安打と節目の記録を次々と達成した。このシーズンは平成20年(08年)まで阪神で監督だった岡田彰布がオリックスに就任。新体制のもと119試合で打率3割6厘、12本塁打、61打点と存在を示した。
ただ、平成23年(11年)シーズン、39歳を迎えるベテランの体には蓄積疲労が貯まっていた。キャンプから発症した故障が大けがへとつながる未来が容赦なく襲ってきた。













