栃木・足利工大付高(現・足利大付高)3年時にインターハイで優勝し、1975年4月に日大レスリング部に入部しました。しかし、当時部内の上下関係は想像していたよりも厳しいものでした。練習ではかわいがりを受けて、意味もなく正座させられたりもしていました。当時は1年が「奴隷」、2年は「人」、3年は「貴族」、4年は「王様」でした。

 日大の同級生には、高校時代に結果を残してきた選手が多かった。大学対抗リーグ戦のレギュラーが7人いて、自分を含めて4人が1年生でしたが、レギュラー選手になっても洗濯や飯を作ったり、雑用をしないといけません。おにぎり300個と豚汁を作り、タクシーに乗って試合会場に向かい、運転手から「お客さん、臭いな」と言われたことも…。それで到着したら先輩に補食を渡していました。

 特に1学年上、2年生の先輩たちが苦手でした。「おい、雑用やれよ!」と怒鳴られて、自分の仕事をこなした後に日大のウエアを着て試合をすることも…。入部して2か月がたったころ「こんなことやっていられない! 先輩らをぎゃふんと言わせたい!」と思って同じ1年の5、6人で夜逃げをしました。部活を辞めようと思ったわけではなくて「レギュラーなのに、こんな扱いをされるのか」と不満をアピールするためでした。

 そうしたら、当時のOB会の会長まで出てくる大騒ぎになり、実家にまで来て「谷津、帰ってこい。この部活の体質を変える」と…。そして合宿所に戻ってきたら、2~4年生の先輩がみんな丸刈りになっていて。みんなわかってくれたんだと思って「ご迷惑おかけしました」と謝罪したら、向こうからも「いいんだよ。俺たちも気を付けるよ」と謝られました。

 大学時代の理不尽な経験もあり、自分が上級生になった時に、後輩たちにむやみに怒ることはしませんでした。後輩が悪いことをした時に怒るのは、仕方ないですが。

 この年のブルガリアで開催された世界ジュニア選手権90キロ級で6位入賞しました。そして秋のインカレが終わった後、再び部活に嫌気が差して群馬県の実家に帰省し、バイクに乗って息抜きをしていました。部活には行かなくても、大学の講義には出ていたので、東北や九州から来ていた同級生から「谷津はいいよな、実家が近くて。逃げ場がある」と言われて。

 そこで、あいつらは嫌でも合宿所にいなくちゃいけないし、自分がいない分の当番も任されていて、実家に帰ることが失礼だと気付きました。そこからは、勝手に群馬へ帰りませんでした。そして大学2年になり、76年4月の全日本選手権フリースタイル90キロ級で優勝し、初めての夢舞台が近づいてきました。